凡例 駅名のみの記載、駅名の前の数字は掲載回を表す、廃止駅は赤文字、休止駅は青文字JR北海道 管内303北見滝ノ上駅跡、307尺別、309夕張・鹿ノ谷、311中標津、314幌加駅跡、318奥行臼駅跡、323豊牛、327銚子口、335糸井、338日高町、342旭川、350白糠JR東日本 管内301入広瀬、302弥彦、308山形、313妙高高原、316会津川口、320渋谷、321信濃大町、324後三年、330海芝浦、332小国、339赤谷・東赤谷駅跡、345白神岳登山口、346...
2019-10-28 (Mon)✎
2019-10-28 (Mon)✎
路線の思い出 第350回 根室本線、白糠線・白糠駅 〔北海道〕長い平屋建ての白糠駅舎:釧路・根室管内はこの形の駅舎が多い《路線データ》根室本線 営業区間と営業キロ 輸送密度 / 営業係数(’15) 滝川~根室 446.8km 976 / 424 ※ 新得~帯広を除いた数値池田~釧路 運行...
Re: 何もない * by 風来梨
hanagonさん、こんばんは。
> 白糠線懐かしいです。いの一番に廃止されてしまった特定地方交通線だったですよね。終点の北進は本当に何もない処でしたねぇ。
> ここには札幌からの夜行急行 狩勝で白糠に早朝到着し、一番列車に乗換えました。確か一両しか自由席がない、準寝台列車と呼んでもいい列車だったと記憶してます。
ホント何もない所で、小僧の時に訪れた時は次の撮り鉄列車の14時台までの7時間が長かったです。 退屈しのぎに雨の中車止めより先を探検しようとしましたが、500m程行った所でカサカサとの音が耳に入ってビビッて退散しました。 後は1000ページのマンガ雑誌を小脇に抱えて廃鉱となった小中学校で雨宿りしてました。
こんな事ができたあの頃は、撮り鉄に対して思いっきり情熱があったようです。
その時のエピソードを書いた記事です。 宜しければどうぞ。
『路線の思い出 第30回 北進駅』
https://furai58.blog.fc2.com/blog-entry-1311.html
> 白糠線懐かしいです。いの一番に廃止されてしまった特定地方交通線だったですよね。終点の北進は本当に何もない処でしたねぇ。
> ここには札幌からの夜行急行 狩勝で白糠に早朝到着し、一番列車に乗換えました。確か一両しか自由席がない、準寝台列車と呼んでもいい列車だったと記憶してます。
ホント何もない所で、小僧の時に訪れた時は次の撮り鉄列車の14時台までの7時間が長かったです。 退屈しのぎに雨の中車止めより先を探検しようとしましたが、500m程行った所でカサカサとの音が耳に入ってビビッて退散しました。 後は1000ページのマンガ雑誌を小脇に抱えて廃鉱となった小中学校で雨宿りしてました。
こんな事ができたあの頃は、撮り鉄に対して思いっきり情熱があったようです。
その時のエピソードを書いた記事です。 宜しければどうぞ。
『路線の思い出 第30回 北進駅』
https://furai58.blog.fc2.com/blog-entry-1311.html
No Subject * by 風旅記
こんばんは。
白糠線は、写真で見ただけながら、私の中ではずっと憧れの存在であり続けています。
多くの人や物を運ぶという鉄道の本来の形からすれば、到底鉄路を維持することはできなかった路線でしたが、何もない原野の中にぽつんとある北進駅の様子は、心に残るものがあります。本当はもっと先まで延伸される計画だったのでしょうが、北進という名前の響きも良いものに感じました。
白糠駅や駅近くのバスターミナルには、この路線の痕跡が残っているのですね。憧れて、現地に行ってやはりとうの昔に廃止されていることを思い知りながら痕跡を辿るのが楽しく思えるのか、憧れは憧れのままがいいのか、こちらの記事を拝見してなお、そんなことを考えてしまいます。
風旅記: https://kazetabiki.blog.fc2.com
白糠線は、写真で見ただけながら、私の中ではずっと憧れの存在であり続けています。
多くの人や物を運ぶという鉄道の本来の形からすれば、到底鉄路を維持することはできなかった路線でしたが、何もない原野の中にぽつんとある北進駅の様子は、心に残るものがあります。本当はもっと先まで延伸される計画だったのでしょうが、北進という名前の響きも良いものに感じました。
白糠駅や駅近くのバスターミナルには、この路線の痕跡が残っているのですね。憧れて、現地に行ってやはりとうの昔に廃止されていることを思い知りながら痕跡を辿るのが楽しく思えるのか、憧れは憧れのままがいいのか、こちらの記事を拝見してなお、そんなことを考えてしまいます。
風旅記: https://kazetabiki.blog.fc2.com
Re: No Subject * by 風来梨
風旅記さん、こんばんは。
太字の文
> こんばんは。
> 白糠線は、写真で見ただけながら、私の中ではずっと憧れの存在であり続けています。
> 多くの人や物を運ぶという鉄道の本来の形からすれば、到底鉄路を維持することはできなかった路線でしたが、何もない原野の中にぽつんとある北進駅の様子は、心に残るものがあります。本当はもっと先まで延伸される計画だったのでしょうが、北進という名前の響きも良いものに感じました。
> 白糠駅や駅近くのバスターミナルには、この路線の痕跡が残っているのですね。憧れて、現地に行ってやはりとうの昔に廃止されていることを思い知りながら痕跡を辿るのが楽しく思えるのか、憧れは憧れのままがいいのか、こちらの記事を拝見してなお、そんなことを考えてしまいます。
> 風旅記: https://kazetabiki.blog.fc2.com
少年の頃、全てを擲ってでも追いかけに行きたかった白糠線。 学生では御法度のオチャメを繰り返して、解っていてもようやく行けた白糠線との惜別の旅。 でも、行ってよかった。 行ったからこそ、生涯のお宝写真と思い出を得ることができたのだから。 学生の本分に従って自重してたら、恐らく今の自分はなかったデショウネ. そして、度を語ることもない退屈な人生だったとゾッとしますね。
太字の文
> こんばんは。
> 白糠線は、写真で見ただけながら、私の中ではずっと憧れの存在であり続けています。
> 多くの人や物を運ぶという鉄道の本来の形からすれば、到底鉄路を維持することはできなかった路線でしたが、何もない原野の中にぽつんとある北進駅の様子は、心に残るものがあります。本当はもっと先まで延伸される計画だったのでしょうが、北進という名前の響きも良いものに感じました。
> 白糠駅や駅近くのバスターミナルには、この路線の痕跡が残っているのですね。憧れて、現地に行ってやはりとうの昔に廃止されていることを思い知りながら痕跡を辿るのが楽しく思えるのか、憧れは憧れのままがいいのか、こちらの記事を拝見してなお、そんなことを考えてしまいます。
> 風旅記: https://kazetabiki.blog.fc2.com
少年の頃、全てを擲ってでも追いかけに行きたかった白糠線。 学生では御法度のオチャメを繰り返して、解っていてもようやく行けた白糠線との惜別の旅。 でも、行ってよかった。 行ったからこそ、生涯のお宝写真と思い出を得ることができたのだから。 学生の本分に従って自重してたら、恐らく今の自分はなかったデショウネ. そして、度を語ることもない退屈な人生だったとゾッとしますね。
2019-10-28 (Mon)✎
よも”ヤマ”話 第81話 御岳山 〔長野県・岐阜県〕 '94・7御岳山 3067m【名峰百選 34峰目】御岳山本峰とコバルトブルーの水を湛える二ノ池 御岳山 おんたけさん (御岳山県立自然公園)長野・岐阜県境にそびえる御岳山 3067メートル は、裾野を広げた美しい姿のコニーデ型火山である。 1979年に急に爆発噴火して人々を驚かせたが、今は休止中。 しかし、この活動を期に、『死火山』という言葉は意味をなくして...
こんばんは!! * by mt minnie
御嶽山は噴火前2010年ころ田ノ原より登りました!!
青い空と、美しい池ですね、神奈川から金曜日の夜走り、朝から登って来ました11時頃には下って王滝の小屋でお蕎麦食べていたから、噴火があっても助かったかも知れません。御嶽山の思い出は美しい山です。
荒涼としているようですね:-))
青い空と、美しい池ですね、神奈川から金曜日の夜走り、朝から登って来ました11時頃には下って王滝の小屋でお蕎麦食べていたから、噴火があっても助かったかも知れません。御嶽山の思い出は美しい山です。
荒涼としているようですね:-))
Re: こんばんは!! * by 風来梨
mt minnieさん、こんばんは。
> 御嶽山は噴火前2010年ころ田ノ原より登りました!!
> 青い空と、美しい池ですね、神奈川から金曜日の夜走り、朝から登って来ました11時頃には下って王滝の小屋でお蕎麦食べていたから、噴火があっても助かったかも知れません。御嶽山の思い出は美しい山です。
> 荒涼としているようですね:-))
私が登ったのは、はるか前の1994年の夏ですね。 この時は確か、大滝頂上で小規模の噴火があって、死火山とされた御岳山が
見直された時だったかと思います。 そして、あの噴火事故の時は、富士山の頂上にいました。 他の登山者のラジオで御岳山の噴火を知りました。 その時は、富士山の頂上にいる皆が「いつもの小噴火程度」と思ってましたが、帰ってから重大事故になっていることを知りました。
予想できない事が一番怖いですね。
> 御嶽山は噴火前2010年ころ田ノ原より登りました!!
> 青い空と、美しい池ですね、神奈川から金曜日の夜走り、朝から登って来ました11時頃には下って王滝の小屋でお蕎麦食べていたから、噴火があっても助かったかも知れません。御嶽山の思い出は美しい山です。
> 荒涼としているようですね:-))
私が登ったのは、はるか前の1994年の夏ですね。 この時は確か、大滝頂上で小規模の噴火があって、死火山とされた御岳山が
見直された時だったかと思います。 そして、あの噴火事故の時は、富士山の頂上にいました。 他の登山者のラジオで御岳山の噴火を知りました。 その時は、富士山の頂上にいる皆が「いつもの小噴火程度」と思ってましたが、帰ってから重大事故になっていることを知りました。
予想できない事が一番怖いですね。
ここには札幌からの夜行急行 狩勝で白糠に早朝到着し、一番列車に乗換えました。確か一両しか自由席がない、準寝台列車と呼んでもいい列車だったと記憶してます。