2018-11-05 (Mon)✎
路線の思い出 第285回 越美北線・勝原駅 〔福井県〕勝原駅舎駅務室部分が完全に封鎖されている※ ウィキペディア画像を拝借《路線データ》 営業区間と営業キロ 輸送密度 / 営業係数(’15) 運行本数(’18) 福井~九頭竜湖 55.1km 494 / 772 福井~九頭竜湖 4往復 福井~越前大野 5往復 ...
No title * by 風来梨
●さん、こんばんは。
土合駅・・、忘れてました。 早速、追加記述しましたよ。 土合駅を忘れるとは、ちょっと恥ずかしいですね。
木曽駒から中央本線側に抜けるとは、物凄い猛者ですね! 木曽義仲が越えたという伝説のある木曽殿越え(でも、事実は作り話らしいですけど・・)のルートは標高差で2000メートルを超えるという猛烈にキツいルートですからね。
今の私なら、迷わずローブウェイです。
私で、皇海山の庚申山荘から原向までの12キロメートルが駅まで歩いた距離の最高かな? あぁ、高校のワンゲル時代の六甲の全山縦走で、須磨浦公園駅から宝塚駅までの54キロメートルの『行』があった。 あれは、14時間のフルマラソンに匹敵する『行』ですね。 若かったあの頃・・を思い出すと、また枕を涙で濡らすのですね。(笑)
土合駅・・、忘れてました。 早速、追加記述しましたよ。 土合駅を忘れるとは、ちょっと恥ずかしいですね。
木曽駒から中央本線側に抜けるとは、物凄い猛者ですね! 木曽義仲が越えたという伝説のある木曽殿越え(でも、事実は作り話らしいですけど・・)のルートは標高差で2000メートルを超えるという猛烈にキツいルートですからね。
今の私なら、迷わずローブウェイです。
私で、皇海山の庚申山荘から原向までの12キロメートルが駅まで歩いた距離の最高かな? あぁ、高校のワンゲル時代の六甲の全山縦走で、須磨浦公園駅から宝塚駅までの54キロメートルの『行』があった。 あれは、14時間のフルマラソンに匹敵する『行』ですね。 若かったあの頃・・を思い出すと、また枕を涙で濡らすのですね。(笑)
No title * by 鳳山
琵琶湖西岸の比良山地、地理の盲点になりがちですが千メートル級の山々が連なっているんですね。戦国時代、金ケ崎の退き口で京都に逃げ帰った織田信長のルートがこのあたりなんでしょうね。
ナイス
ナイス
No title * by 風来梨
鳳山さん、こんばんは。
金ヶ崎の退き口で使われた道は、比良の裏側・朽木の街道ですね。
この道は通称『鯖街道』と呼ばれ、若狭に水揚げされた鯖を京の都に運ぶ裏街道として栄えた道のようです。 そしてこの道は古くから『棒道』としても知られていたようですね。 中村町・坂下町・坊村町・梅ノ木町など、軍勢の調達役や兵糧役を担った庄屋の名がつけられているそうです。
金ヶ崎の退き口で使われた道は、比良の裏側・朽木の街道ですね。
この道は通称『鯖街道』と呼ばれ、若狭に水揚げされた鯖を京の都に運ぶ裏街道として栄えた道のようです。 そしてこの道は古くから『棒道』としても知られていたようですね。 中村町・坂下町・坊村町・梅ノ木町など、軍勢の調達役や兵糧役を担った庄屋の名がつけられているそうです。
No title * by レガシィ
もう少しスケールの小さな話をしても良いですか?近鉄額田、南生駒駅は生駒山の暗峠越えの最寄駅です。国道308は全国区の酷道で、名を馳せています。話のネタになる道である事は、間違いないです。
No title * by 風来梨
レガシィさん、こんばんは。
暗峠・・。 話のネタありますよ。(笑) 昔々の高校ワンゲル時代に、クロスカントリーの訓練で歩いた(と言うより駆けた)事がありますね。
あの『○』の滑り止めのついたコンクリの簡易舗装は、駆け上るのはふくら脛が爆発しましたね。 下りの駆け出しも傾斜が急過ぎて、油断したら止まれずにコースアウトして、路外の雑木林に突っ込んで全身擦り傷だらけになりましたね。←本当になった
まぁ、青春時代のいい思い出!?ですが、今の高校ではこんなブリバリ訓練はしないだろうなぁ。
暗峠・・。 話のネタありますよ。(笑) 昔々の高校ワンゲル時代に、クロスカントリーの訓練で歩いた(と言うより駆けた)事がありますね。
あの『○』の滑り止めのついたコンクリの簡易舗装は、駆け上るのはふくら脛が爆発しましたね。 下りの駆け出しも傾斜が急過ぎて、油断したら止まれずにコースアウトして、路外の雑木林に突っ込んで全身擦り傷だらけになりましたね。←本当になった
まぁ、青春時代のいい思い出!?ですが、今の高校ではこんなブリバリ訓練はしないだろうなぁ。
勝原駅から荒島岳は「駅から登山」でいつかは…と思っているルートです。
あとお手軽な「駅から登山」と言えば土合駅からの谷川岳ですかね。
登山口というか下山口としてですが、昨年木曽駒から原野駅まで歩いたのは車道歩きが長く辛かったです。
駅には木曽駒まで10何kmという看板がありました。