風来梨のブログ

このブログは、筆者であるワテの『オチャメ』な日本全国各地への探勝・訪問・体験記です。

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路線の思い出   第198回  根室本線・厚床駅

路線の思い出   第198回  根室本線・厚床駅

路線の思い出  第198回  根室本線・厚床駅  〔北海道〕駅ホームからは果てしなく広がる『北海道』が見えた《路線データ》       営業区間と営業キロ          輸送密度 / 営業係数(’83)        滝川~根室 446.8km             2302  /  464釧路~根室 運行本数          釧路~根室 6往復(うち下り2本、上り1本 快速)          釧...

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No title * by オータ
こんばんは。
1982年秋、初めての渡道で 標津線を乗りつぶしに行きましたが…
急行まりもがまだ 旧客編成で、スロ44のグリーン車がついていました。普通車は スハ44ながら 指定、自由席が各一両ずつ。この二両の客車が、急行ノサップが出た後 根室行き客レとして 荷物・郵便車を 併結して現れたのには 驚きましたね。
結局 同じ車両に 友人と共に乗りまして、彼は根室を目指して。私は 厚床で降りて 標津線の二番列車へ乗り換え。キオスクの隅に 三つだけ置かれていた 名物の ほたて弁当500円を 珍しく購入して 食べたのです。実は 物凄い台風が来ていて、怖くなって 実家に 駅前の公衆電話から連絡した記憶があります。18歳の秋でした。

No title * by 風来梨
オータさん、こんにちは。

私の「初北海道」は、オータさんより1年後の1983年の夏でした。
その時は【まりも】などの夜行列車は全て14系になっていましたね。
旧客の夜行は旅の雰囲気満点ですね。 比較的遅くまで旧客のあった山陰本線で、急行【だいせん】と普通列車【山陰】、九州の普通列車【ながさき】で乗った経験がありますけど、スチーム暖房は熱い位でしたね。 牽引音や線路を刻むジョイント音とか、「これぞ、夜汽車の旅」って感じでした。

それと、我が「初北海道」の旅は、タングステンフイルムを使ってしまった「フイルム間違い」で全ボツとなり、これがリベンジ心に火をつけて、あれから30回位渡道してますね。

だから、初めての北海道は大失敗旅だったけど、北海道に熱中するきっかけとなりましたね。

それからは、北海道でいろいろな出来事がありましたね。

No title * by なべ
こんばんは。標津線懐かしいですね。80年代中頃は小生も周遊券を握りしめて何度か北海道行ってました。目当てはキハ22で、40だとガッカリしたものです。小生が標津線乗った時もキハ40でした。。。

No title * by 風来梨
なべさん、こんばんは。

北海道にローカル線があった80年代は、それを追う「鉄」にとっては周遊券は必須アイテムでしたね。 それももう、無くなってしまいました。 思えば、周遊券の終焉が、鉄旅が廃れた合図だったのかも・・。

それと、私もキハ22狙いでしたが、キハ40でもローカル線のお宝写真が撮れましたので、朱5号塗装(俗にいうタラコ色)のキハ40は好きですね。 私の標津線では、この厚床線はほとんどキハ40で、本線はキハ22が半数でした。

No title * by ♂茉莉花
はじめまして
地元で花咲線活性化活動しているものです!懐かしい厚床駅の写真保存させてもらっても宜しいでしょうか?

No title * by 風来梨
♂茉莉花さん、こんにちは。

どうぞ、厚床駅の写真を使って下さい。
昔の駅は温かかったですね。 ストーブも常時焚べていたし。

『オホーツク縦貫鉄道の夢』の前半(第6回から8回辺り)にも霧達布湿原の事を取り上げてますので、宜しければどうぞ。