2014-12-20 (Sat)✎
路線の思い出 第76回 湧網線・紅葉橋仮乗降場 〔北海道〕 全く無人地帯・・という訳ではないのだけれどもなぜか利用客がジリ貧だった湧網線 《路線データ》 営業区間と営業キロ 輸送密度(’79) / 営業係数(’83) 中湧別~網走 89.8km 177 / 2322  ...
No title * by 風来梨
タケちゃん さん、こんばんは。
山あり、流氷の海あり、四季折々に魅せる湖景色など、湧網線の車窓は素晴らしかったですが、私はこの線に関しては満足なのが撮れませんでした。
撮れなかった訳の一つが、この記事の「紅葉橋」の妄想外れですね。
今となれば、常呂の流氷のお立ち台に行っておくべきでしたね。
なので、湧網線は最終日の写真1枚以外は全てB級の出来で・・。
山あり、流氷の海あり、四季折々に魅せる湖景色など、湧網線の車窓は素晴らしかったですが、私はこの線に関しては満足なのが撮れませんでした。
撮れなかった訳の一つが、この記事の「紅葉橋」の妄想外れですね。
今となれば、常呂の流氷のお立ち台に行っておくべきでしたね。
なので、湧網線は最終日の写真1枚以外は全てB級の出来で・・。
No title * by 散位 アナリスト杢兵衛
冒頭の雪山と電車の姿、絵になりますね。
No title * by 風来梨
アナリスト杢兵衛さん、こんばんは。
この路線に関してはイマイチの出来だと思っていましたので、お褒め頂き嬉しいです。
大方30年近くたった今は、かつてはイマイチと思えたモノも貴重な宝物ですね。
この路線に関してはイマイチの出来だと思っていましたので、お褒め頂き嬉しいです。
大方30年近くたった今は、かつてはイマイチと思えたモノも貴重な宝物ですね。
No title * by tom
こんばんは
元は”撮り鉄”そして”乗り鉄”。今は”撮りバス”をしています。
一昨年網走を訪れました。湧網線の代替バスはどうも廃止になったようです。代替バスになったからといって決して安心はならないようです。過疎地の公共輸送は色々と難しいようですね。
元は”撮り鉄”そして”乗り鉄”。今は”撮りバス”をしています。
一昨年網走を訪れました。湧網線の代替バスはどうも廃止になったようです。代替バスになったからといって決して安心はならないようです。過疎地の公共輸送は色々と難しいようですね。
No title * by 風来梨
tomさん、こんばんは。
廃止転換時に『アメ』として交付されたキロ当たり3000万円の転換交付金の基金が尽きた今、どこも不採算路線として存廃の危機にあるようですね。
添田線なんかも西鉄バスが徹底した・・との事ですし、引き受け手のない天北線の宗谷丘陵区間は、村が『コミュニティバス』と呼ばれるマイクロバスを運行しているとの事ですし・・。
今は「一家に免許の数だけ車がある」という御時勢で、公共交通機関は利用客が激減し更に縮小される・・いう悪循環となってます。
この悪循環は、更に人口が流出して地域住民の半数が65歳以上になる・・という『限界集落』化の引き金ともなってますね。
廃止転換時に『アメ』として交付されたキロ当たり3000万円の転換交付金の基金が尽きた今、どこも不採算路線として存廃の危機にあるようですね。
添田線なんかも西鉄バスが徹底した・・との事ですし、引き受け手のない天北線の宗谷丘陵区間は、村が『コミュニティバス』と呼ばれるマイクロバスを運行しているとの事ですし・・。
今は「一家に免許の数だけ車がある」という御時勢で、公共交通機関は利用客が激減し更に縮小される・・いう悪循環となってます。
この悪循環は、更に人口が流出して地域住民の半数が65歳以上になる・・という『限界集落』化の引き金ともなってますね。
湧網線ですか~・・・今でも線路跡を窺うことが出来ますよね。
サロマ湖畔沿いの国道を走る度に「廃止は勿体なかった」と何度も思います。
海あり山あり、そして湖もありと・・・車窓的には変化に富んで面白い路線だったんでしょうが・・・当時の情勢が存続を許してくれませんでしたね。
ただ、悲しいかな、それじゃあ今だったら「観光鉄道」として生き残れるのか?と考えた場合・・・やっぱり答えは・・・NOですものね。
芭露駅が好きでした。