風来梨のブログ

このブログは、筆者であるワテの『オチャメ』な日本全国各地への探勝・訪問・体験記です。

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第124回  カムイミンタラ その1

第124回  カムイミンタラ その1

『日本百景』 夏  第124回  カムイミンタラ その1  〔北海道〕 表大雪の壮観白鳥・千鳥の雪渓に魅せられて・・   旅行記 カムイミンタラ(神遊びの庭)で遊ばれて・・ より『カムイミンタラ(神遊びの庭)で遊ばれて・・』 1日目~2日目途中 行程図 ※ 嬉しい“お花畑”指標入りだよ!    行程記録  ※ 今回実際にかかった時間ですけど・・、何か?《1日目》 JR上川駅よりバス (0:30)→層雲峡...

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No title * by 風来梨
今日の11時頃にコメントの書き込みをした輩のブログを確認した所、反日のチョウセンヒトモドキだと判明しましたので、管理者権限で削除しました。

私のブログを閲覧される方を粗悪な反日内容のチョウセンブログから守る為の処置です。

悪しからず御了承下さい。

No title * by たけし
いつもご来訪いただき感謝申し上げます。
私、心臓疾患により山行ができなくなり、風来梨さまの素晴らしい写真と山行記録の臨場感がいながらにして体験できるような気がします。

私のブログも登山としての記録を残していますが、ごく一部です。
過去に登った山々、風来梨さまの記事で思い起こしては懐かしんでおります。ありがとうございます。

ナイス!

No title * by 風来梨
たけしさん、こんばんは。 見て頂いて、有難うございます。

私がブログを立ち上げた時は、政治やニュースをネタに語るブログを目指していました。 でも必然的に、いつの間にか過去の栄光!?にすがりっぱなしの内容となってしまいました。

やっぱり、情報を入手する事は「物臭さ」には無理だったみたいです。(笑)

旅に出ては「オチャメ」に遭遇し、それの報告会のようなブログですが、時折自己満足満開(自分では良いと思うだけ)の写真が掲載されますので、たまに覗いて頂ければ嬉しいです。

No title * by たけし
この時期、本屋さんには山の本がうず高く積まれています。
山ガ-ルということで、下界のおねいちゃんみたいなモデル?さんが
頂上でハシャいでいる写真が多いですね!
山に簡単に登れるイメ-ジを強調しているようですが、厳しさも表記してもらいたいです。

No title * by 風来茄子
こんばんは。アルプスの岩峰も美しいですが準平原と称される広大な山々の連なりは写真を拝見しているだけで心が晴れやかに開放されるようです。網の目状の残雪のストライプなど緩やかな地形の成せる技でしょうね。私はついぞ北海道の山には縁が無かっただけに憧憬の念を抱いてしまいます。それにかの地固有のピンクのツガザクラを見てみたい。本州のアオノツガザクラも可憐ですがこの赤花の絨毯はさぞ壮観でしょうね。

No title * by 風来梨
たけしさん、こんにちは。 お返事が遅れてすみません。 山行ってたもんで・・。

確かに、山に対する危険意識が低いですよね。 まぁ、今は有名な山の山荘では個室だの、山のビアガーデンなどがある始末ですから・・。 ツアー組んで裕福層の中高年がタ-ゲットのようです。

そういえば、大雪山の遭難もこの手の中高年ツアーでした。 一日避難小屋で待機してれば助かったのに、帰りの飛行機を気にして悪天候の中に出て自爆した事例ですね。

過ぎたる便利は、人の危険回避能力を奪うみたいですね。

No title * by 風来梨
殿下・・、度々の遅参の不手際お許し下され~。お仕置きだけは御勘弁を・・。

霞沢攻めにて、稜線付近で暴風雨攻めに手間取りまして、帰りのバスに乗り遅れて、砦(テント)も水攻めに遭い、上高地で禁断の野宿(ビジターセンターでごろ寝)と相なりました。

そして、「55ミリキャノンウルトラレンズキャップ介は、「殿下の御為に!」と、暴風雨に立ち向かい討ち死にを遂げました。 忠義の臣下に慰みのお言葉を願いまする。

難航不落の霞沢を落として、96峰となりましたぞ。

第123回  剱・長次郎雪渓

第123回  剱・長次郎雪渓

『日本百景』 夏  第123回  剱・長次郎雪渓  〔富山県〕 剱本峰に続く剱沢の雪渓 今回は初心者から山の猛者まで全ての山の民が楽しめる剱岳のバリエーションルートである長次郎雪渓を登って、普段ならなかなかお目にかかれない『氷河』を見にいこう。これを目にすれば、きっと興奮冷めやらぬ高揚感に全身を包まれる快感を体験する事となろう。  剱・長次郎雪渓 登高ルート 行程図     行程...

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名峰次選の山々 第109回  和名倉山

名峰次選の山々 第109回  和名倉山

名峰次選の山々 第109回  『149 和名倉山』  山梨県  奥秩父山系(秩父多摩国立公園) 2036m  コース難度 ★★★  体力度 ★★★ 東仙波より望む和名倉山・・遠かった あらゆる面で 和名倉山は、危うく『フォーエバー』になりかけた山である。 なかなか登頂する事が適わなかったのである。 まぁ原因は、筆者だからこそハマる『オチャメ』に至ったからである。要するにマトモな普通の人なら、まずは陥る事は...

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No title * by 風来梨
殿下・・、順延となってた第三弾! 長篠城のちょっと上の難航不落の城!?を攻めてきましたぞ。

いゃぁ、13日は雨となり、痩せ尾根進軍中に暴風に攻め返されてのオチャメの危機も凌ぎましたぞ。

でも、頂上は苦労の報われぬ貧相なモノでしたな。

御褒美下され~。
殿下より態度のデカい、忠義の(全くない)弟子及び家臣の風来梨より。

物事を正しく理解できない奴ほどトンチンカンな事をいう 困ったもんだ(『長篠の戦』のディベート)

物事を正しく理解できない奴ほどトンチンカンな事をいう 困ったもんだ(『長篠の戦』のディベート)

物事を正しく理解できない奴ほど、トンチンカンな事をいう。 困ったもんだ。まぁ、今回の事例は武田と織田・徳川連合軍の長篠の戦で、幸いな事にトンチンカンな事を言っても人畜無害なのであるが・・。 それでは、そのトンチンカンな記事と、この男の矛盾が出てボロ出しまくりの主張をば。一応、匿名にしときますね。 アホの名前を出しても仕方ないので。 ちなみに、この男のトンチンカン発言を赤色で、ワテの突っ込みを青...

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No title * by 風来梨
殿下・・、この件に対して殿下の御裁定を欲しまする。
あの『阿下喜の誓い』の時よりの殿下の愛しき家臣・梨より。

ここまでトンチンカンな事を言って歴史を愚弄するこのバカを許せなかった衝動からこの記事を書いちゃいました。

モノ事の常道やセオリー、仕来たりや当時の人の思惑など、人の本分をここまで無茶苦茶に解釈できるこのアホは、頭が人間のレベルに達していないし。

言うなれば、こうすれば必ず滅びる、必ず負ける・・、絶対に有り得ない事柄を真顔で言っているし・・。

No title * by 風来茄子
おわぁ・・・圧倒的物量ですね。私などニワカ歴史好きなのでコメントして良いものやら分かりませんが私見を幾つか。武田勢は信玄の死で求心力を失い離反者続出で嘗ての最強騎馬軍団は機能出来なくなっていたとか。加えて鉄砲の性能向上で通説の三段撃ちではなく連射可能で連合軍の優勢は兵器面でも明らかだったらしいです。

佐久間信盛は忠節一途で裏切りの意図はなかったとする説もあるようです。信長は人事刷新・若返りを企図し老臣を冷遇したため信盛は割りを喰ったようですが・・・いずれ柴田勝家なども干されていたかも知れませんね。まあその冷酷な人事が臣下の不信不満を募らせ命取りとなったのでしょうけど。

歴史を詳細に検証するには兵站の進化、経済システムから処世術、宗教観まで広範に比較検証し当時の人々の実像に迫る必要があるのでしょうね。

No title * by 風来梨
殿下、御裁定頂き恐悦でございます。

長篠の戦を考察する上でのコンセプトは、武田勢が何故に「考えられる最悪な事」をしたのか?いう不可解な行動の解明です。

そう、武田勢にとっての「最悪な事」は、織田・徳川勢の待ち構える設楽原に無策で全軍突撃する事です。 そんな事すれば蜂の巣に遭って全滅必至です。 でも、武田勢はその「最悪」を実行したのです。

普通は、私の説(というより、矛盾点が見受けられず定説になりつつある)の「織田の策(山を密かに回ってきた酒井勢による背後からの奇襲)にハマって設楽原に釣り出された」と「策にハマって、なす術なく突っ込んだ」と考えるでしょう。

それをあのアホは、武田勢は「一丁やってやろうか!」とやる気満々で突撃した・・というのです。

そして、武田勢がやる気満々だった証拠として、戦闘が8時間にも及んだ事と、重臣達がこぞって討ち死にした事・・と、目茶苦茶な事を宣っています。

これって、武田勢に対しての大いなる侮辱でないでしょうか? 則ち、武田勢は戦術を何も考えない無能集団と言ってるのと同じだからです。

長くなるので続く。

No title * by 風来梨
続き

そして、そのアホ極まる説を固める為、更に有り得ない事で歴史そのものを侮辱しています。

例えば、「ただが二千程度が後ろから攻めてきたに過ぎず、退却というならそんなの簡単に蹴散らして、悠々と退却できる」と、奇襲戦法の否定と、武田勢をマンガかゲームに出てくるス-パー戦隊か何かに落としめています。

また、「退却するなら敵の待つ設楽原でなくとも退路は幾らでも確保できるので、設楽原に突撃したのは決戦を挑んでの事だ 退路が幾らでも確保できるのに敵が集結する設楽原へ退却するのは常識はずれ」と、「三方山に囲まれた長篠城」いう山城を築城した戦国時代の歴史背景の否定です。

要するに自説を通したい余り、矛盾点だらけの無茶苦茶な事を宣ってるのです。

「山城に大軍を難無く通す道を造れば、山城の意味がない」と突っ込むと、今度は酒井隊の奇襲を「あれは奇襲などではなく、織田方の戦線拡大策だ」と、今度は織田信長も戦術を知らぬバカ扱いである。

そもそも、設楽原の下方で待ち構える織田・徳川勢が設楽原からより離れた城の後方に武田勢を足止めすべく戦線を拡大する訳がないのである。

No title * by 風来梨
長くなってすんません。

更に、「武田勢が長篠城を囲んだのは織田・徳川勢と雌雄を決する為のものであり、城を落城寸前まで追い込んでも、落城させてはならない」「落城寸前まで追い込んで織田・徳川の後詰めをおびき出した・・までは武田方の思惑通り」と「精神病院に逝ってヨシ」な事を恥もなく言ってのけます。

もう織田・徳川と武田のガチンコ決戦という、このアホの願望そのものである自説を通す事に躍起であった。

でも、長篠の戦がなぜ起こったのか(徳川に寝返った長篠城主・奥平の成敗)という事と、武田に最良な終決は「城を落として裏切り者の奥平の首を撥ね、後詰めにきた織田・徳川に兵を引かせて領地を取り戻す事」などから、事実は長篠城は武田方にとって「絶対落とさねばならぬ城」なのである。

それを全く背景の違う備中高松城の事を上げて、後詰めを呼ぶ為に「城を落とさない」のは包囲戦の常道とばかりにキチガイ語録を宣っています。

他にも、三方ヶ原の戦を例にし、「武田信玄は後ろを取られたのに勝ったではないか!」ともう精神病患者化しています。

これにはもう言い返す気も失せて、現在に至っています。

No title * by 風来梨
あと、浸透戦術とか知り得た言葉を考え無しに使っているが、やはりアホで言葉の意味を全く理解していない。

確かに浸透戦術は少数勢力による走力を利用した戦術だが、攻め手は敵前線の手薄な部分とはいえ穴を空ければならない為、一瞬にして一少隊規模の敵兵を掃討する武器を持たねば不可能なのである。

要するに、機銃掃射や手榴弾を投げながら突破する戦法であるが、騎馬隊は走力はあれど、敵を一瞬にして掃討する武器は持ち合わせていないのだ。

これで突っ込んで一人二人討った所ですぐに囲まれて討ち取られてしまう。

そんな事は百戦錬磨の武田騎馬隊なら分かってるるはずで、それを敢えてやったのは、大将の勝頼を逃がす為に敵を引き付ける事で逃げる隙間を開ける為の作為だと推測できるのである。 ここでも、意味を違えた言葉を使って、更なる破綻を呼んでいるから救いようのないアホなのである。

No title * by 風来茄子
金ヶ崎や島津一文字駆けを引き合いに出しては矛盾してしまいますよね。窮状打破のための撤退作戦で九死に一生を得たからこそ誉れであって失敗すれば愚将と貶められる。長篠での武田勢も敢えて討って出ざるを得ない状況に追い詰められてのことでしょう。武田勢というと騎馬術のアナクロ軍団で鉄砲を積極使用した織田勢に負けたのは必定というイメージがあるようですが、鉄砲掃射は当時既に定着した戦法であり武田家も雑賀衆等を通じて堺商人から大量に買い付けていた筈です。彼等がアナクロだから負けたのではなく既にその段階を過ぎていたからこそ滅びたということです。

山峡・地峡を固めるのも劣勢をカバーする窮余の策ですよね。明智勢が天王山・山崎に篭ったのはその典型例でしょう。しかし後ろを取られ挟撃されればひとたまりもない。武田勢は設楽原に吊り出され、最早一点突破に賭けるしかなかったのでしょう。

最近戦国武将もののゲームが隆盛で興味を持つのはいいのですがゲームそのままのファンタジーでは困りますよね。それをキッカケに色々探っていけば歴史も面白いのにね。。

No title * by 風来梨
殿下におわせられましては、再度の御成り恐悦至極にございます。

ゲームやスマホなどのバ-チャルな世界の拡大は、人に現実的な状況分析能力を奪いましたな。

だから、いい歳した者でさえ、辻妻の合わないお花畑な主張をするのですな。

このアホ男も右翼に傾倒しているようで、このアホ主張で、せっかく原発の再稼動など正しい事言ってるのに、アホを見透かされて台無しです。

右翼って、こんなのが多いわ。 まぁ、分析能力がないから、意のままにならぬ事に逆切れして、「(ワシに)反論するオマエは悪意の塊だ!」だもんね。

さて、台風もいった事だし、今日の夜より設楽原のちょっと上の方へ逝っちゃおうかと。

多分、来週中は筋肉痛で逝ってるので、たぶん更新不能です。

殿下におかれましては、不甲斐ないワテを陳謝致しまする。 たから、御手討ちにしないでね。

No title * by こかげ
こんにちは 面白そうな話なので・・・

大軍では、長篠から北東方面への撤退が、道路事情から難しいというのは無理があるのでは?
武田の場合、山の中から太平洋側へ出てくるための道筋がいくつかあります。
そして、山の中の一本道が平野部に出たところに

焼津方面では 諏訪原城、その先へ高天神城があり
浜松方面では 二俣城があり
豊橋方面では 長篠城があったわけです。

これらの城と本拠をつなぐ道は通常の道ではなく
国を守る/逆に他国を攻撃する ための軍用道路でもあったと考えるべきでは?
なので、軍や、兵糧の移動・輸送等に支障のないレベルにまで整備されていたと考えるべきでは?

No title * by こかげ
それと、織田*武田双方が闘う意思があったか否かについて

織田・家康軍が到着した時点で、武田軍は主力を設楽ヶ原向けたので、その時点では、やるき満々だったかどうかは兎も角として、双方とも、一応、戦う覚悟はあったように見えます。

問題は数日後、鳶ヶ巣山の砦を織田・徳川軍が手に入れてから以後・・・
これ以後は武田側は焦ったでしょうね!
前後から挟撃される状態になったわけですから。
2km程度の地域に閉じ込められてしまった。

これ以後、少数の武田側としては、設楽ヶ原側/長篠城側、 いずれかを突破するか、あるいは間道を通って各隊ごとにバラバラに逃げるか・・・ この程度しか選択肢が無いわけです。

結局、武田側は織田・徳川軍を包囲するような陣形で設楽ヶ原での戦いを選んだわけですが、どのような理由でこのような選択したのか?