路線の思い出 第15回 富内線・振内駅,日高町駅 〔北海道〕 スタンプがあった・・という事は駅には降りたようだ“乗っただけ”で往時の記憶が乏しい富内線 《路線データ》 営業区間と営業キロ 輸送密度(’79) / 営業係数(’83) 廃止年月日 転換処置 鵡川~日高町 82.5km 280 / 2021 ’86/11/ 1  ...
いつも見て頂いて有難うございます。
身体が最も動く最盛期の時、私は放浪旅をしていました。
10ヶ月働いて金貯めて、2ヶ月は放浪・・を繰り返していたのが我が青春時代です。
おかげで社会的な地位や安定した暮らしはダメでしたが、普通の生活をしている人には体験できない色々な体験(でも、そのほとんどがオチャメ系)ができましたので、今にして思えば“良かった”ですね。
イソップの『アリとキリギリス』のキリギリスを地でいく行き方だけど、一つだけ違います。 物語のキリギリスのように『老いてもその生き様を悔いる事はない』という事だけは・・。
アリの生き方では味わえなかった素晴らしい体験をした今までを誇らしく思ってます←自分の褒め過ぎ
小生も昭和59年に富内線に乗っています。地味な路線だったようで、小生も途中の高い鉄橋とどこかの交換風景と日高町の駅舎とキハ40のスナップ程度しか画像は残っていません。
それにしても七つ沼カールは素敵ですね。こちらの画像の方がずっと良いかもしれません。
この後はJRバスで日勝峠を越えて最後は帯広で宿泊していますが、バスの画像がないのは一生の不覚でした。
富内線は、途中に架かっていた、いくつかのとにかく高ぁ~い鉄橋が印象的でしたね。
私は富内線の写真、振内付近のアーチ橋を渡るキハ22を暗い中やっとこさ撮っただけで終わってしまいました。
仁世宇には、年に2回くらいは坊主を連れて釣り堀に行っています。
幌尻岳登山口の看板、確かに目にしますね・・・振内の交通公園に置かれている(放置されている?)D51はロシア帰りなんですよね。
なので、SL好きの私なんですが、あまり興味が湧かない、ってのがホントのところです。
お返事が遅れましてスミマセン。
この頃の私が抱いていた『オホーツク路線優先主義』の為に撮れなかった路線です。 でも、撮った方々の写真を見ると、今更ながらに後悔が頭をもたげますね。 でも、「車もない小僧の行動力では、全てを追うのは無理」と理由付けして嘆いています(笑)。
七ッ沼カールは過去4度(カール底に降りたのは3度)行きましたが、最初の時はカメラのメーターが壊れるハプニング(使っているC社のF-1はよく壊れます)があったものの、一番良く撮れました。
測光不能でエイヤーで撮ったのが最もいいデキだなんて、皮肉だなぁ~と思います。
お返事が遅れましてスミマセン。
>私は富内線の写真、振内付近のアーチ橋を渡るキハ22を暗い中やっとこさ撮った
そのお写真を拝見して、「いいなぁ・・、羨ましいなぁ・・」とブツブツ呟く自分がいました(笑)。
あの時、もう少し機転を利かしていれば・・ 無理ですね。 訪れたのは高1の夏で取り敢えず乗る事優先だったし、それに私の最初の北海道はフイルムを間違えてタングステン持ってきた大失敗旅行だったし・・です。
この時撮ったのは、全て青みがかかって没です。 この時に撮ったサブカメラのネガしか使えません←今、目一杯使ってます・・
この旅は、私の青春の爽快なお笑い(オチャメ)ネタですね。
あの幌尻岳の看板は最初に行った時はなかったので、百名山ブームであの看板が設置された時は、正直ゲンナリしましたね。
それとあの鉄道公園・・、できれば駅舎の現物を残して欲しかったなぁ。
教会みたいの・・じゃなくて。
カメラの露出なんて経験と運だと思うのでISOだけ決まれば、露出計をあてにせず勘で撮った方が良いこともあるかもしれません。小生も電池切れで撮ったこともありますが、それほど悪くもありませんでしたよ。
そうですよね。 取り上げた区間は4往復しかなかったですから。
足がないと、駅撮り以外は無理っぽいですね。 でも、染まる秋の富内線情景(しかも、この区間)を何かの写真で見てからは、残念な思いが募る一方です。
C社のF-1のハイブリッド機構は、もの凄く脆弱です(笑)。 たぶん、山でホコリを被ったか・・水滴が着いたか・・ですが、これが会社を代表する機種か・・と思うと、C社に幻滅。 簡単にユーザーを切り捨てるし・・。
最初は、九州。
次は北海道。その次は 沖縄。
そして、ヨーロッパ~アメリカ~アジア。
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