2013-01-16 (Wed)✎
『私の訪ねた路線』 第118回 池北(ちほく高原鉄道)線 〔北海道〕 旧国鉄(JR)の乗車券・入場券《路線データ》 営業区間と営業キロ 輸送密度 / 営業係数 (’83) 池田~北見 140.0km 825 / 946 移管年月日 移管処置  ...
No title * by 風来梨
タケちゃんさん、こんばんは。
いつも見て頂いて有難うございます。
実を言うと、私も士幌線優先戦略!?で、池北線の方は後回しでした。 初めて乗った時の松山千春の生家にガックリきて、路線のイメージもイマイチ化してしまったみたいです。 国鉄時代のを撮ったのは’89年の2月で、この年は大方の廃止線が片付いて、北海道では4大長大路線(名寄・天北・標津・池北)のみでした。 だから、前3路線に比べて、かなりおざなりなデキしか撮れませんでしたね。
その反省(口だけ)!?で、ちほく高原鉄道の廃止前は、ちょっと頑張って(氷点下11℃で2時間立ちんぼ)、我がPCの壁紙になるモノが撮れました。
いつも見て頂いて有難うございます。
実を言うと、私も士幌線優先戦略!?で、池北線の方は後回しでした。 初めて乗った時の松山千春の生家にガックリきて、路線のイメージもイマイチ化してしまったみたいです。 国鉄時代のを撮ったのは’89年の2月で、この年は大方の廃止線が片付いて、北海道では4大長大路線(名寄・天北・標津・池北)のみでした。 だから、前3路線に比べて、かなりおざなりなデキしか撮れませんでしたね。
その反省(口だけ)!?で、ちほく高原鉄道の廃止前は、ちょっと頑張って(氷点下11℃で2時間立ちんぼ)、我がPCの壁紙になるモノが撮れました。
「ふるさと銀河線」の帯広乗り入れ時は、結構もめていましたよね・・・・当時、帯広に住んでいたんですよ、私。転勤で。
やれ単独の乗り入れでは踏切が反応しないだの、なれば国鉄型車両との併結しかないだのと・・・・結果的には、何とかなっていたようですね。
私が札幌から帯広へ転勤したのが昭和62年の4月・・・・直前に士幌線と広尾線が廃止になっていたので、そっの方が残念でならなくて、どうしても「銀河鉄道」なる鉄道への写欲が失せてしまっていたのが、今にしてみると本当に残念でありません。
走っている姿は何度も見ているんですが。