2011-12-02 (Fri)✎
『オホーツク縦貫鉄道の夢』 第24回 呼称と現実のギャップ 湧網線さよなら乗車記念証より サロマ湖で思う存分楽しんだなら、その日は浜佐呂間近くの宿にでも泊まるとして、翌朝の列車で《浜佐呂間》以降を語るとしようか。 《浜佐呂間》を出ると《サロマ湖》より離れ、内陸方向に進路を変える。佐呂間町の中心集落へ向かう為だ。 現在も“ケートボール会館”として残る仁倉駅舎 石炭ストーブの思い出が残...
No title * by 風来梨
タケちゃんさん、こんばんは。
私も2004年だったか、芭露駅に通りかかった事があります。
あの時は確かにライダーハウスとなっていて、土間にマットレスを敷いて泊まるようになっていたようですが、利用客はほとんどいなかったみたいです。 そして、ウィキによると、2年後の2006年に取り壊しと相成ったみたいです。
貴重な木造駅舎だったので、あの時撮っていれば・・と悔やまれます。
私も2004年だったか、芭露駅に通りかかった事があります。
あの時は確かにライダーハウスとなっていて、土間にマットレスを敷いて泊まるようになっていたようですが、利用客はほとんどいなかったみたいです。 そして、ウィキによると、2年後の2006年に取り壊しと相成ったみたいです。
貴重な木造駅舎だったので、あの時撮っていれば・・と悔やまれます。
No title * by オータ
計呂地駅は撮りましたが…芭露はあったかしら? 探してみます…
湧別へ入る時は「湧別行き」とだけ言っていましたね。「名寄本線」とは言わなかった記憶があります。
勝手ながら blogs.yahoo.co.jp/orofure2001/13165432.html に
芭露-計呂地間の 志撫子仮乗降場の記事があります。よろしければご覧ください。
湧別へ入る時は「湧別行き」とだけ言っていましたね。「名寄本線」とは言わなかった記憶があります。
勝手ながら blogs.yahoo.co.jp/orofure2001/13165432.html に
芭露-計呂地間の 志撫子仮乗降場の記事があります。よろしければご覧ください。
No title * by 風来梨
オータさん、こんばんは。
計呂地・芭露とその間の志撫子(仮)ともども降りた事はありますが、若き日の最大の過ちで写真は全部ボツになりました。
その過ちとは、ISO感度に惑わされ、タングステンフイルムで撮って全てボツという悲惨な出来事でした。 次に訪れた時は紅葉橋と東富丘に熱中してこちら側は手薄になっちゃいました。
そして、芭露駅は上記の如く撮ってません。
つくづく間抜けだなぁ・・って思います。
計呂地・芭露とその間の志撫子(仮)ともども降りた事はありますが、若き日の最大の過ちで写真は全部ボツになりました。
その過ちとは、ISO感度に惑わされ、タングステンフイルムで撮って全てボツという悲惨な出来事でした。 次に訪れた時は紅葉橋と東富丘に熱中してこちら側は手薄になっちゃいました。
そして、芭露駅は上記の如く撮ってません。
つくづく間抜けだなぁ・・って思います。
昭和62年頃、仕事で3日間ほど計呂地や芭露あたりをウロウロしたことがあります。
特に早朝に時間を余してウロウロした芭露駅構内は今でも記憶に残っていますよ・・・残念ながらあまりに時間が早すぎて列車は来ませんでしたが。
確か、路線廃止後も「ライダーハウス」として利用されていたこの芭露の駅舎も、取り壊しになってしまったのでは・・・