2011-10-10 (Mon)✎
『私の訪ねた路線』 第59回 白糠線 〔北海道〕 『何もない終着駅』北進駅が息を吹き返す列車到着の時 《路線データ》 営業区間と営業キロ 輸送密度(’79) / 営業係数(’83) 白糠~北進 33.1km 123 / 3077 廃止年月日 転換処置 廃止時運行本数 ’83/10/23 &nb...
No title * by 風来梨
タケちゃん様、こんばんは。
コメント頂き、有り難うございます。
この白糠線は、私が北海道ローカル線にハマるキッカケの路線でした。 雑誌で見た牧場を行くキハ22や北進駅の侘しさなど、当時中学~高校の時でしたが、心を捉えて離れませんでした。
そのお陰で、受験につまづいて平凡な所に進学せざるを得なかったのは藪の中に(爆)。 秋に廃止詣でをしたのがバレて、××になったのは藪の中に(核爆)。 この時に、上茶路で駅寝したのが自身となって、アウトロースタイルが確立したのは藪の中に・・。 と我が半生におけるボタンの掛け違えが始まったキッカケとなった事は藪の中に・・の貴重な思い出一杯の路線です。
自分が魔法が使えるなら、たぶんこの線とオホーツク沿岸路線を復活させるでしょうね(笑)。
コメント頂き、有り難うございます。
この白糠線は、私が北海道ローカル線にハマるキッカケの路線でした。 雑誌で見た牧場を行くキハ22や北進駅の侘しさなど、当時中学~高校の時でしたが、心を捉えて離れませんでした。
そのお陰で、受験につまづいて平凡な所に進学せざるを得なかったのは藪の中に(爆)。 秋に廃止詣でをしたのがバレて、××になったのは藪の中に(核爆)。 この時に、上茶路で駅寝したのが自身となって、アウトロースタイルが確立したのは藪の中に・・。 と我が半生におけるボタンの掛け違えが始まったキッカケとなった事は藪の中に・・の貴重な思い出一杯の路線です。
自分が魔法が使えるなら、たぶんこの線とオホーツク沿岸路線を復活させるでしょうね(笑)。
No title * by takataka
こんばんは。
本当に貴重な写真の数々ですね!【ポチっ!】
私も、一度だけ上茶路まで乗車した事があり懐かしく拝見致しました。
当時、上茶路には炭鉱社宅跡を利用した青少年旅行村があり、宿泊した記憶があります。
本当に貴重な写真の数々ですね!【ポチっ!】
私も、一度だけ上茶路まで乗車した事があり懐かしく拝見致しました。
当時、上茶路には炭鉱社宅跡を利用した青少年旅行村があり、宿泊した記憶があります。
No title * by オータ
これはスゴい!です。雑誌のルポでもここまで詳しく追っかけていたか? 上茶路など途中駅の細かい様子までよく取材!されていますね。そうですか…ハマるきっかけになったのですか。
なお、コメントのtakataka氏の「上茶路青少年旅行村」の体験も花を添えていますね。宿泊体験というのもスゴいなぁ…
私も1982年の初渡道時、士幌線の次に乗った廃止対象線でした。ここは絶対廃止されるとわかっていたからです。でも一番列車で往復したのみ… シホサツや補充券も作ってもらいましたが… まさか北進駅のスタンプがあったとは! 恐れ入ります。傑作!
なお、コメントのtakataka氏の「上茶路青少年旅行村」の体験も花を添えていますね。宿泊体験というのもスゴいなぁ…
私も1982年の初渡道時、士幌線の次に乗った廃止対象線でした。ここは絶対廃止されるとわかっていたからです。でも一番列車で往復したのみ… シホサツや補充券も作ってもらいましたが… まさか北進駅のスタンプがあったとは! 恐れ入ります。傑作!
No title * by 風来梨
takatakaさん、こんばんは。
上茶路の青少年旅行村、御利用された事があるのですか! それはすごい。 初めて白糠線に乗った1983年の夏、裏の広場で乗馬していたのを見た記憶があります。 たぶん、旅行村のイベントだったのだろう・・と思います。
それで、少し興味を抱いてググッてみると、白糠線が廃止された1983年を境に利用者が激減し、ついに平成16年から年間利用者ゼロらしいです。 この旅行村は、白糠線が最大の『売り』だったようですね。
傑作、有り難うございます。
上茶路の青少年旅行村、御利用された事があるのですか! それはすごい。 初めて白糠線に乗った1983年の夏、裏の広場で乗馬していたのを見た記憶があります。 たぶん、旅行村のイベントだったのだろう・・と思います。
それで、少し興味を抱いてググッてみると、白糠線が廃止された1983年を境に利用者が激減し、ついに平成16年から年間利用者ゼロらしいです。 この旅行村は、白糠線が最大の『売り』だったようですね。
傑作、有り難うございます。
No title * by 風来梨
オータさん、こんばんは。
いつもコメントありがとうございます。
本当に、この線は私の半生をこのように変えた路線でした。
撮影も、他の線以上に頑張っていたようです。 次の列車まで、北進で8時間待ったり・・とか、歩いて上茶路まで向かったり・・とか。
改めて、今は持ち得ない情熱で動いていた気がします。
いつもコメントありがとうございます。
本当に、この線は私の半生をこのように変えた路線でした。
撮影も、他の線以上に頑張っていたようです。 次の列車まで、北進で8時間待ったり・・とか、歩いて上茶路まで向かったり・・とか。
改めて、今は持ち得ない情熱で動いていた気がします。
本当にいいものを見せて頂きました。
時々雑誌等に掲載されていた急行型2連は間合い運用だったのですね。
政治と鉄道路線敷設という複雑な関係は、こんなローカル線であれ新幹線であれ、今でも何も変わっちゃいないな、と考えさせられました。