『ネームトレイン』 第39回 大雪気動車の昼行急行【大雪】は遠軽と網走で見かけたのみで終わったよ:その頃は『廃止ローカル線命』で急行はほぼスルーだったよ※『国鉄急行列車 東日本編 花畑尚敬 著』より 急行【大雪】 ・・ 現在は、4往復あった特急【オホーツク】の内の2往復が旭川~札幌の運行が打ち切られて、網走~旭川となった2往復に新たに【大雪】の名を与えられているが、【大雪】の愛称自体はかつて石北本...
『ネームトレイン』 第38回 加越・しらさぎ米原駅の『路線の思い出』記事を書く時に所蔵コマ4万枚のネガのお蔵を漁ったら中坊の時に米原で撮ったのが出てきたよ 特急【加越】・【しらざき】 ・・ JR西日本及びJR東海が、名古屋・米原~金沢を東海道本線・北陸本線経由で運行する特急列車である。 1964年10月1日に東海道新幹線が東京~新大阪で開業した事に合わせて、名古屋~富山の特急列車として運転を開始すべく準備...
『ネームトレイン』 第37回 大隅国分駅を発車する快速〔大隅〕:停車駅が多くなった事以外は急行時代からの貫禄を魅せていた※『鉄道ホビタス』より 快速〔大隅〕 ・・ 鹿児島と県内の大隅、宮崎県の日南地方を結んだ元急行列車で、1980年10月1日のいわゆる『ゴーゴートウ』のダイヤ改正による急行列車大幅削減の煽りを受けて快速列車に格下げとなった。 この改正では、大隅線の鹿屋と宮崎を結び、かつては博多発のエリ...
『ネームトレイン』 第36回 ぬさまい帯広と釧路を結ぶ区間急行として運行された急行【ぬさまい】※『国鉄急行列車《東日本編》』廣田尚敬 著 より 急行【ぬさまい】 ・・ 1962年4月1日に帯広~釧路を運行する準急列車として運行を開始した列車である。 1962年5月1日に使用車種が気動車に変更され、1966年3月5日には準急制度の改変に伴い、急行列車に格上げされている。市内中央部に架かる観光都市・釧路の象徴である幣舞...
『ネームトレイン』 第35回 ライラック室蘭~白石の電化完成と耐雪装備を強化した新型車両781系のデビューを踏まえて設定された特急【ライラック】※ ウィキペディア画像を拝借 特急【ライラック】 ・・ 室蘭本線と千歳線の室蘭~白石の電化の完成と、千歳空港駅(現在の南千歳駅)の新設に伴う1980年10月1日のダイヤ改正にて、従来の特急【いしかり】の運転区間を延長する形で、室蘭~札幌~旭川で運転を開始した特急列...
『ネームトレイン』 第34回 まいづる183系の特急【まいづる】絵入りヘッドマーク※ ウィキペディア画像を拝借 特急【まいづる】 ・・ JR西日本が京都~東舞鶴を山陰本線・舞鶴線経由で運行する特別急行列車である。 北近畿ビッグXネットワークを形成する列車の一つで、イメージカラーは橙色となっている。舞鶴にある旧日本海軍の赤レンガ武器・弾薬倉庫:この赤レンガの色がトレインカラーに採用されている※ ウィキペデ...
『ネームトレイン』 第33回 白鳥45年前に大阪駅で齢10歳の細腕で大人でも扱えないであろうピントから撮影条件に至るまで全てがマニュアルのレンジファインダーカメラでは珠玉の名機『TOPCON T-35L』で撮ったシロモノ 特急【白鳥】 ・・ JR東日本及びJR西日本が、かつて大阪~青森を日本海側に沿って縦貫運転していた関西発着で青森で青函連絡船に連絡する昼行の北海道連絡を担う特急列車である。主に〔八甲田丸〕と〔桧山...
私の場合は、ワイド周遊券の有効日数20日をフルに使っても足りない為に、1日で北海道に渡れる【白鳥】には率先して乗ってましたね。 それほどに、廃止ローカル線の追っかけは&『撮り鉄』は、日にちがかかったのですね。 もう、1日1線が当たり前で、名寄本線とか天北線のような長大路線や深名線のように分断された路線は、2~3日かかりましたから。 車があれば効率的に周れたのでしょうが、当時は高校生でしたのでゲンチャリが精いっぱいで・・。
それでも日程が足りず、帰りは『セ・セ・セ・セ青春18』を2枚買って、東北の路線を駅寝しながらジグザグに『乗り鉄&撮り鉄』+歩いて行ける景勝地めぐりをしてましたね。 普通列車だけの旅では、運行本数が少ないので撮り鉄の合間は時間が余り、どっかに立ち寄らねば間が持たなかったからですね。
でも、今は特急も含めて減便となって、鉄道での北海道の旅は限りなく困難となってますね。
『ネームトレイン』 第32回 なは新大阪に到着した寝台特急【なは】※ 友人からのもらい受け 寝台特急【なは】 ・・ かつてJR西日本及びJR九州が、京都~熊本を東海道本線・山陽本線・鹿児島本線経由で運行していた寝台特別急行列車である。 2008年3月14日発の運転をもって寝台特急【あかつき】とともに廃止された。特急【なは】のデビュー時はキハ82系気動車だった※ 写真はサントリーカーブで撮った【まつかぜ】の回送...
最寄り駅に停車するので駅近くまで日曜日には見に行ってました。「かもめ」が通過するのは残念でしたが(笑)
夜行寝台となってからは縁遠くなってしまいましたね。
写真の撮影経験でも記した通り、私は583系の寝台電車運転時に大阪駅にタカる小坊の『駅撮り鉄』の一人でした。
当時は午前中は大阪駅で、大阪駅を10時頃に発車する特急【白鳥】を撮ったら、鶴橋か今里に行って近鉄を撮っていました。
それと、当時使ってイタカメラは、今は珠玉の名機と言われるレンジファインダーでフルマニュアルの東京光学『TOPCON T-35L』でした。 ピント合わせは元より、シャッタースピード・絞りなど全てマニュアルで、大人でも扱えないようなカメラでした。
今、それなりに撮れるのは、このカメラで揉まれたから・・かもです。
それと、気動車特急で見た事あるのが、キハ181の特急【やくも】ですね。 確か、中坊の時だったかと。
『ネームトレイン』 第31回 ちくま急行【ちくま】:JR東海の特急【しなの】の間合い車両が充てられていた※ ウィキペディア画像を拝借 急行【ちくま】 ・・ ちくまは、かつて大阪駅 - 長野駅間を、東海道本線・中央本線・篠ノ井線・信越本線を経由して運行していた準急・急行列車である。 晩年は、夜行列車として運転されていた。列車名は、長野県松本を中心とする地方名『筑摩』が由来だが、ひらがな表記とした為に、甲...
『ネームトレイン』 第30回 瀬戸下りは最も遅く東京を発ち上りは最も早く東京に着くのでなかなか昼光で撮る機会のないブルートレインだった寝台特急【瀬戸】※『列車名鑑 特急・瀬戸』より 寝台特急【瀬戸】 ・・ 1950年10月に初の四国連絡の急行列車として、宇野線直通で東京~宇野の運転を開始したのがルーツで、東京~岡山は東京~広島で運行していた急行【安芸】と併結運転していた。 一方、四国側の連絡列車は、高...
当時は貧乏学生だったので、北海道周遊券アプローチでは基本的に特急は使わず急行オンリーだったですねぇ。
今となってはもうちょっと特急や寝台車にも乗っておけばよかったと後悔しています。