廃線鉄道 第107回 上田交通・真田傍陽線 〔長野県〕真田駅で発車を待つ貨物混合列車:背後には菅平高原の盟主たる峰の白銀の四阿山(あずまやさん)が望める※『mamalog』より真田傍陽線(さなだそえひせん)は、長野県上田市の電鉄上田と真田町(現・上田市)の真田及び、途中の本原から分岐して傍陽までを結んでいた上田電鉄(上田交通の子会社)の鉄道路線である。1927年に電鉄上田~伊勢山が開通したのを始めとして、192...
廃線鉄道 第98回 名鉄・安城支線 〔愛知県〕末期は本線格の西尾線と共に1500Vに昇圧されて1500Vの三河鉄道で使われていた木造車のモ1080が運用に就いていた名鉄・安城支線(めいてつ・あんじょうしせん)は、かつて愛知県安城市の南安城から国鉄(現・JR東海)の安城までを結んでいた名古屋鉄道(名鉄)の鉄道路線で、西尾線の支線である。安城支線はJR安城駅の南東側から分岐していた:駐車場となっているのがホーム跡で線...
廃線鉄道 第91回 伊豆箱根鉄道・軌道線 〔静岡県〕軌道線の電車と駿豆線の蒸気機関車牽引の列車三島町駅(現・三島田町駅)にて※ ウィキペディア画像を拝借伊豆箱根鉄道・軌道線(いずはこねてつどう・きどうせん)は、静岡県三島市の三島町停留場から、沼津市の沼津駅前停留場までの間を結んでいた伊豆箱根鉄道の軌道路線(路面電車)である。 島津線とも通称されていた。 明治時代の1906年11月に開業し、モータリゼー...
廃線鉄道 第84回 飯田線・西豊川支線 〔愛知県〕西豊川駅跡線路に沿った空き地が駅舎跡地だろう※ ウィキペディア画像を拝借飯田線・西豊川支線(いいだせん・にしとよかわしせん)は、国鉄(現 JR東海)飯田線の中で唯一あった支線である。 飯田線の南部を保有していた豊川鉄道によって敷設された路線である。 路線敷設の目的は、1939年12月に開設された豊川市内に開設された豊川海軍工廠(海軍直属の軍需工場)への物資...
廃線鉄道 第74回 赤谷線 〔新潟県〕路線最終日に運行されたさよなら列車※『消えゆくローカル線40線』より赤谷線(あかたにせん)は、かつて新潟県新発田市の新発田と同市の東赤谷を結んでいた国鉄が運営していた鉄道路線(地方交通線)である。 1980年12月27日に施行された『日本国有鉄道経営再建促進特別措置法』(いわゆる『国鉄再建法』)を受けて、翌年の1981年9月に第1次特定地方交通線に指定され、1984年4月1日に全...
生まれ育ち、通学でお世話になりました。故郷を離れて大分経ちますが
東中学校駅懐かしいですねー。
駅が出来てから、もう50年前になりますねー。ありがとうございます
会社を退職して、赤谷線散策しています。赤谷行くまで時間かかりますが!見るだけで、懐かしく色々な思い出が、浮かび上がります。
ありがとうございます
お返事が遅れてスミマセン。
この赤谷線は私にとっては痛恨の未乗線区で、廃止となってから、飯豊山の下見と称して通いました。 東赤谷は砂利敷きのバス転回場となってましたが、赤谷駅は公民館として残っていましたね。 けれど、東赤谷からのルートはキツ過ぎて登れませんでした。
ミヤパパです。返信ありがとうございました。生まれた所が、赤谷沿線で、小、中、高校と通学しました。私も赤谷駅までしか乗車してません。東赤谷駅迄乗車は、ありません。各駅の写真ありがとうございます。懐かしく涙が出ますね、
東赤谷の先に湯の平温泉がありますが行かれましたか?
とてもいいところです。
昨日まで留守でしたので、お返事が遅れました。 スミマセン。
その湯ノ平温泉から飯豊山の登山道があるのですが猛烈にキツいコースで、最盛期の『奇跡の体力』ホルダーの時(25年以上前)に計画だけ立てて、車で車道がつながる加治川ダムまでの偵察はしましたが、それ以降は未踏です。 何でも加治川ダムより徒歩で2時間かかるそうで、真に秘湯です。
飯豊山は山形県側の石転ビ沢雪渓などから登りましたが、今では体力的に飯豊山はキツいかもしれません。
最後に飯豊山に登った12~13年前の関連記事です。 宜しければどうぞ。
https://furai58.blog.fc2.com/blog-entry-2431.html
飯豊山登山写真や山草花ありがとうございます。
山都駅ほのぼのしますねー。
赤谷線から始まり、本当にありがとうございました。
廃線鉄道 第67回 名鉄一宮線、岩倉支線 〔愛知県〕道路建設の疎外となる為1964~65年に相次いで廃止となった小牧線の岩倉支線と一宮線※ CBCテレビ『いっぽう』より一宮線(いちのみやせん)は、愛知県岩倉市の岩倉から同県一宮市の東一宮までを結んでいた名鉄の鉄道路線である。 1965年4月25日に路線廃止となっている。1941年までは名古屋市内の柳橋から、枇杷島橋(現・枇杷島分岐点)を経由して岩倉に至る区間も一宮線の区...
廃線鉄道 第59回 松本電気鉄道(現 アルピコ交通)・上高地線(末端区間)〔長野県〕1986年の架線昇圧時に全車廃車となり新島々の構内留置線として数十m残された廃止区間に放置されたモハ10形※ ウィキペディア画像を拝借松本電気鉄道(現 アルピコ交通)・上高地線(まつもとでんきてつどう・かみこうちせん)は、長野県松本市の松本駅から同市(かつては東筑摩郡波田町)の新島々駅までを結ぶアルピコ交通の鉄道路線である...
歴史的観点からすると鉄道が筏で木材などを運ぶ水運を滅ぼしたように、また人力・馬力・牛力で北海道などの大規模開拓を成し得たのと同じく、鉄道はコスト・利便性の面で陸送(トラック)に敵わないようになりました。 要するに、「とにかく大量に、一方向に速く運べばいい」から、「家の前に届けて欲しい」やら「費用をかけないで運んで欲しい」に需要が変った時から鉄道は衰退し始めましたと思いますね。
そして、「とにかく大量に、一方向に速く運べばいい」という鉄道のニーズに適って利益を上げれる項目のシンカンセンも、東海道・山陽・東北・上越以外は思うように利益を上げれない事が判明してきました。 でも、政府は何も考えずに、国策で北海道やら北陸・九州の末端と、不要な所にもシンカンセンを敷いて更に自らの首を絞めてます。
そして、その赤字のツケを在来線のせいにした事から、鉄道そのものが淘汰され始めているのが、路線の廃止問題ですね。
そしてバスは、鉄道よりもドライで、客がいなければ即運行廃止されるので、地方はますます僻地化が進行されかねませんね。
廃線鉄道 第52回 名鉄・起線 〔愛知県〕尾西線の昇圧に伴って新一宮駅への乗り入れが廃止となり運行休止となる半年後まで路線バスと併用運転となっていた※ ウィキペディア画像を拝借名鉄・起線(おこしせん)とは、愛知県一宮市の新一宮駅(廃止直前は八幡町駅)から愛知県中島郡起町(後に尾西市を経て現・一宮市)の起駅までを結んでいた名古屋鉄道(名鉄)の軌道線(路面電車)である。1953年6月に運行休止となった後、...
ほんと、古き良き時代ですね。
この頃の方が、人間らしい暮らしだったかも。
廃線鉄道 第45回 名鉄・小坂井支線 〔愛知県〕営業当時の小坂井駅ホーム手前が豊川鉄道で奥が愛知電気鉄道※ ウィキペディア画像を拝借小坂井支線(こざかいしせん)とは、愛知県宝飯郡小坂井町(現・豊川市)の伊奈駅から同県同郡同町の小坂井駅までを結んでいた名古屋鉄道(名鉄)の鉄道路線である。廃止時は支線格だったが路線開業は豊橋到達より早く複線電化されていた※ ウィキペディア画像を拝借開業時は、全線複線だ...
廃線鉄道 第37回 名鉄・瀬戸線(お壕区間)〔愛知県〕名古屋城の外堀の外郭をr60の急カーブで曲る通称『お壕区間』をゆく名鉄電車※ 名鉄のウェブサイト『名鉄資料館』より名鉄瀬戸線・お壕区間(せとせん・おほりくかん)は、かつて愛知県名古屋市北区清水にある名鉄・瀬戸線の清水駅から、愛知県名古屋市中区の名古屋城外堀の南西隅部、景雲橋小園(けいうんばしこぞの)の北側にあった堀川駅までを結んでいた路線である。...
最初は国鉄線乗り潰しの折。やはりスイッチバックということで感激して、当時としては珍しく写真も残しております。
二度目は廃止後の転換バスで。
その時はこの駅が目的ではなく飯豊山登山で東赤谷から歩いて入山しました。まだ廃線趣味がなかったので駅跡はチラと横目で見ただけ。今にして思えば残念なことをしましたねぇ。。
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