『オホーツク縦貫鉄道の夢』 第20回 唯一の現存区間・その2 オホーツク沿岸へ・・ ギンギンギラギラの暑い季節にギンギンギラギラの冬の情景をどうぞ 前回の予告通り、ギンギンギラギラにテカる夏の太陽光を尻目に、オホーツクの風物詩・流氷を語る事にしよう。 でも、さすがに表題は、「オホーツク沿岸へ・・」と『流氷』の文字をつけれなかった所が筆者が小市民たる所以である。 それでは、季節ぶっ飛びの続き...
『オホーツク縦貫鉄道の夢』 第21回 能取岬より望むオホーツク流氷 盛り上がる流氷と国後島の最高峰・爺爺岳と 今は夏。 冷夏気味といっても夏。 でも、この『オホーツク縦貫鉄道の夢』で語るべくの持ち写真は、ほとんど冬に訪れた時のもの。 従って、今回も暑い夏に清涼を求めて流氷ネタをどうぞ。 大陸と蛇行する川のような紋様を描き 《能取岬》までは、流氷イベント『ノットリランド』の開催時期...
拠所ない事情(冬の写真しかない)により、『オホーツク縦貫鉄道の夢』は10月位までアップ不能かと。さすがに、真夏に冬記事連発は2回が限度でした。 宜しければ、21回までを再度見て頂けたなら・・。 記した筆者が言うのも何ですが、結構アウトドアってて、面白かったりします。 野鳥の楽園とか、もう今はなきトドワラとか、禁断の岬・知床岬とか、斜里岳頂上から望む幾何学模様とか、通らずの橋とか。 最初からご覧にな...
真に北海道の原野をゆく路線でした。
願わくば、もう一度撮ってみたいですね。
地方路線の貨物も同じく・・。
『オホーツク縦貫鉄道の夢』 第22回 オホーツクを望む『名も無き丘』へ・・ 昭和62年3月19日をもって時を止めた路線の証『オホーツク縦貫鉄道の夢』という空想旅の中で復活させよう 季節に逆らう事を断念し、しばらく休止中だった『密かな人気(があるかもしれない)』のこのシリーズを再開しようと思う。 少し期間が開いたので、筆者としては話の整合性を保つべく、面倒でも最初から見て頂く事をお勧めしよう。...
ありがとうございます。傑作!
次はさよなら列車の登場ですよ~。
乞う、ご期待。
『オホーツク縦貫鉄道の夢』 第23回 オホーツク縦貫鉄道が潰えた日 最後を飾る臨時列車『さよなら湧網号』これがこの路線の“最初で最後の晴れ姿”なのか 1日上下4本しか止まらない東富丘にこの日6両編成の列車が止まるその列車の名は『さよなら湧網号』 《常呂》に戻った所から再開しよう。 《常呂》を出た列車は、《北見共立》という駅舎のある駅を過ぎて、私がこの線の最後を見届けるべくの撮影地に選んだ...
皮肉を申せば、六両編成の列車が走ったのは恐らくこの時=廃止前が初めてだったと思います。道内のローカル線はどこもそうだったでしょう。私も直前に通常列車に乗りに行きましたが、サロマ湖はとにかく淋しげで…でも何も語りかけては来なかったですね…
そうでしょうね。 最初で最後の晴れ姿・・、撮れて良かったです。
この時は自分なりに、自らに印象を残せるように撮った記憶があります。
『オホーツク縦貫鉄道の夢』 第24回 呼称と現実のギャップ 湧網線さよなら乗車記念証より サロマ湖で思う存分楽しんだなら、その日は浜佐呂間近くの宿にでも泊まるとして、翌朝の列車で《浜佐呂間》以降を語るとしようか。 《浜佐呂間》を出ると《サロマ湖》より離れ、内陸方向に進路を変える。佐呂間町の中心集落へ向かう為だ。 現在も“ケートボール会館”として残る仁倉駅舎 石炭ストーブの思い出が残...
昭和62年頃、仕事で3日間ほど計呂地や芭露あたりをウロウロしたことがあります。
特に早朝に時間を余してウロウロした芭露駅構内は今でも記憶に残っていますよ・・・残念ながらあまりに時間が早すぎて列車は来ませんでしたが。
確か、路線廃止後も「ライダーハウス」として利用されていたこの芭露の駅舎も、取り壊しになってしまったのでは・・・
私も2004年だったか、芭露駅に通りかかった事があります。
あの時は確かにライダーハウスとなっていて、土間にマットレスを敷いて泊まるようになっていたようですが、利用客はほとんどいなかったみたいです。 そして、ウィキによると、2年後の2006年に取り壊しと相成ったみたいです。
貴重な木造駅舎だったので、あの時撮っていれば・・と悔やまれます。
湧別へ入る時は「湧別行き」とだけ言っていましたね。「名寄本線」とは言わなかった記憶があります。
勝手ながら blogs.yahoo.co.jp/orofure2001/13165432.html に
芭露-計呂地間の 志撫子仮乗降場の記事があります。よろしければご覧ください。
計呂地・芭露とその間の志撫子(仮)ともども降りた事はありますが、若き日の最大の過ちで写真は全部ボツになりました。
その過ちとは、ISO感度に惑わされ、タングステンフイルムで撮って全てボツという悲惨な出来事でした。 次に訪れた時は紅葉橋と東富丘に熱中してこちら側は手薄になっちゃいました。
そして、芭露駅は上記の如く撮ってません。
つくづく間抜けだなぁ・・って思います。
『オホーツク縦貫鉄道の夢』 第25回 最も列車が少ない路線 明らかにお手製1日の発着が2本なら仕方がないか これよりは、この旅行記のクライマックスとなる“流氷路線”の区間だ。 私が目にした限りではあるが、最も流氷を味わって望める区間がこの名寄本線であると思う。 そして、この全区間が廃止となった唯一の“本線”である名寄本線から枝分かれする支線たちも、あの頃の私の憧れやまぬ路線であった。これらの路...
湧別駅ですか・・・鉄道雑誌の「北海道特集」で見たことがある程度・・・その場所に鉄道で足跡を記していること自体が凄いことですね。
鉄道廃止後に、仕事で湧別に行くとは思いもよらず・・・しかも駅跡探訪をするヒマもなく・・・・今では家族で中湧別のチューリップを見に行くんですが、どうしてもその観光経路からは外れてしまいますよね。
私が仕事で行った先・・・それは湧別の東側・・・登栄床でした。
乗ってて良かった・・ これは紛れもない本音ですね。
それと登栄床は、サロマ湖とオホーツクを仕切る砂嘴にある漁港ですね。
私も最後の放浪の時に立ち寄りましたが、竜宮台は駐車場で折り返しになっていて、入場は有料だったので折り返した経験があります。
止ってる車はほとんどが釣り人のマイカーだったかと・・。
逆に、チューリップ園はまだ見た事ないです。 この正月の旅で『道の駅・チューリップの湯』は立ち寄る予定ですので、今からが楽しみです。
アレを撮ったとは、すごいですね。 110程(宮脇俊三・原田勝正 著の『北海道690駅』によると・・)あった仮乗降場の中でも、待合室なしの車両の半分の板張りというド最低クラスの乗降場でしたから・・。 私は、駅を扱う有名サイト『さいきの駅舎訪問』でその姿を見たのみです。
後ほど、そのお宝写真を拝見しに伺いますね。
『オホーツク縦貫鉄道の夢』 第26回 オホーツクのお花畑を訪ねて・・ 中湧別はこの地域最大の鉄道ジャンクションであった さて、今回はメインデッシュの流氷区間を取り上げる前に、季節を大外しした別の話題を取り上げよう。それは、やはり流氷の区間は流氷の接岸する地域に語りたいし、またせっかくの思い入れのある写真や紀行文であるので、「少しは勿体つけたいなぁ・・」という筆者の下らぬ下心がなせる業であ...
私も「チューリップ畑とキハ22」を撮りたかった1人ですよ~。
こればっかりはかなり悔いております・・・無理してでも撮りに行けば良かった。
毎年と言っていいほど、東藻琴の芝桜とセット上湧別のチューリップを家族で見に行っています・・・チューリップ畑の向こうには、今でも判る線路跡・・・花は綺麗だけど、行くたびにとても残念な気持ちになっております。
そうですよね。 満開のチューリップと単行のキハ22・・。
何とも美味しい情景だったですね。 私の場合、このチューリップ公園の存在を知ったのが、廃止の前の年で流氷と天秤を掛けたら、流氷になっちゃいました。
次回は来年の掲載になりますが、メインイベントの流氷です。
久しぶりにおじゃまします。
私は上湧別在住なのですが、チューリップ公園とキハの写真を見ると懐かしく思います。
しかし、いつも見ていた風景なので、ここで写真を撮ろうなどと当時は全く思いもしませんでした。
今思えば残念なことです。。。
中湧別の駅名標ですが、現在もある会社の敷地内に立っています。
駅解体時に引き取って、記念に残してあるそうです。
先だってはトラックバックの件でお世話になりました。
身近にあり過ぎるのも、撮り逃しの原因に成り得ますね。
私も、結構多くの事(例えば、関西の私鉄のローカル線などは撮り逃しています)が思い浮かびます。
その後は、後悔の念だけが漂いますが・・。
また、名寄本線の事について、いろいろと教えて頂けたら・・と思います。
『オホーツク縦貫鉄道の夢』 第27回 道央とオホーツクを結ぶ儚き夢 廃止ローカル線の終着駅にしては明るい雰囲気だった渚滑線 前回に流氷区間の予告をしたが、メインの流氷区間を旅する前に、道央とオホーツクを結ぶ夢を抱いて建設されながら、時の移り変わりに抗する事ができずに消えていったローカル線・渚滑線の事を取り上げてみよう。 環境庁の『日本の重要湿地 500』に指定されているコムケ湖の静かな...
北見滝ノ上へは、芝桜を見に行ったことがありますよ。
旧駅舎も残されていたので、チラと内部を覗きに行くと、なにやら車両やら部品やらが保存されているように見えました。
しかしながら、その後の予定があったので、次の目的地へ向かってしまいました。
以降は東藻琴の芝桜ばかりを見に行って、残念ながら滝ノ上には行っていません。
渚滑川の鉄橋、まだ列車が走っている時に、是非とも撮ってみたいと思っていたポイントでしたが・・・願いは叶わずでした。
私は、満開の芝桜自体見た事ないです。 ぜひともみたいなぁ・・とは思っているのですが・・。
渚滑川の撮影は、『撮ってて良かった』です。 不思議に、乗車する鉄道ファンはいても、ローカル線撮り鉄は、ほとんどいませんでした。
『オホーツク縦貫鉄道の夢』 第28回 もうこの国では見られない鉄道情景 もうこの国には存在しない鉄道風景 渚滑線より戻って、再び名寄本線を北上しよう。 渚滑を出ると、オホーツク国道のR238と併走する。位置取りはR238が海側、名寄本線が陸側の小高い土手をゆく。 やがて裏側に、土手上の駅への覆いのついた階段のある乗降場・富岡を通過する。 この富岡は乗降場としては格下で、朝夕の下り2本・上り3本が...
釧網本線の客レ、オハ61を思い出しました…