風来梨のブログ

このブログは、筆者であるワテの『オチャメ』な日本全国各地への探勝・訪問・体験記です。

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私の訪ねた路線  第134回  三江線

私の訪ねた路線  第134回  三江線

『私の訪ねた路線』  第134回  三江線  〔島根県・広島県〕 桜の駅・粕淵にて 《路線データ》       営業区間と営業キロ       輸送密度 / 営業係数(’16)          江津~三次 108.1km        46  /   1109         廃止年月日             転換処置          ’18/4/1      備北交通・大和観光・邑南町営・石見交通     ...

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No title * by mino710710_0203
おはようございます。三江線は10年前位に乗った事があります。
山あいの江の川沿いを走り、今でも脳裏に焼き付いています。
お気に入りへ登録させて頂きたいですが宜しいですか。

No title * by 風来梨
mino710710_0203 さん、こんにちは。
見て頂いて有難うございます。

春の三江線はいいですね。 江ノ川沿いの山里の春を魅せてくれます。 それと、江ノ川の流域は滝が豊富で、鉄道だけではなくちょっとしたハイキングや自然観賞も楽しめますね。

でも、列車本数が極端までに少ないので、プラン立てに苦労する旅先です。

お気に入りのお申し出を頂き、有難うございます。
今後とも宜しくお願いします。

No title * by こうしの母
『観音滝』の検索からの訪問です(*^_^*)
先日、行ってきましたぁ。。。
とても魅力的な滝でした(^^♪

No title * by 風来梨
こうしの母さん、こんばんは。 見て頂いて、有難うございます。

観音滝が掛ける白布は、秀逸ですね。 島根県には、この他にも「百名滝」の竜頭ヶ滝や幻の滝の如く神秘的な奥匹見峡の大竜頭もあります。

「日本の滝を訪ねて・・」の西日本編にありますので、宜しければ御覧くたさい。

私の訪ねた路線  第133回  大隅線

私の訪ねた路線  第133回  大隅線

『私の訪ねた路線』  第133回  大隅線  〔鹿児島県〕 桜島と大隅線列車もう二度と狙えぬ情景となった今あの時の下手さが悔やまれる大隅麓付近にて 《路線データ》        営業区間と営業キロ         輸送密度 / 営業係数(’83)           志布志~国分 98.3km          702  /   1082             廃止年月日       ...

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私の訪ねた路線  第132回  標津線 その2 厚床線

私の訪ねた路線  第132回  標津線 その2 厚床線

『私の訪ねた路線』  第132回  標津線 その2 厚床線 〔北海道〕 何もない原野を1日数本往来していた開拓鉄道の名残通称『厚床線』 《路線データ》      営業区間と営業キロ             輸送密度 / 営業係数(’83)    標茶~根室標津・厚床~中標津 116.9km         391   /  1366       廃止年月日                   転換処置      ...

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No title * by isao&よっちゃん
お早うございます。
奥行臼駅といえば例の最期まで残った簡易軌道があった場所ですよね^^
春別は今はサハリン帰りのD51が居るんでしたっけ?

No title * by 風来梨
よっちゃんさん、こんにちは。
見て頂いて有難うございます。

確か、別海町の簡易軌道があった所ですね。
でも、標津線の往時はそれらの遺構は放置状態でして、全く目立たなかった記憶があります。 廃止になってから駅や過去の史跡が持てはやされているケースが、この奥行臼駅にも当てはまりますね。

春別に関しては、全く知りませんでした。 新たな情報を頂き有難うございます。

No title * by タケちゃん
こんばんは。
「開拓の使命を終えた鉄路の末路」という言葉が、実に胸に刺さりますね。
実際問題、廃止されてしまった路線は広大な大地の中を進む路線が多かったですね・・・・農地が整備され、道路も整い・・・・そうなると鉄道への依存度が低下するのは皮肉なものですよね。

開陽台・・・・20年以上行っていません。
養老牛温泉に一泊して、のんびりと周辺をブラブラしたい気分になってしまいました・・・・。
あっちの牛乳飲みたいなぁ。美味しいんですよね~。

No title * by 風来梨
タケちゃんさん、こんばんは。
お返事が遅れてスミマセン。

廃止線を見つめると、その多くに『栄枯盛衰』が漂っています。
華やかな頃と末期のギャップの大きさに溜息が出ます。

私が廃止線に触れた時は、その末期です。 もちろん、廃止線が華やかな頃は知りません。 でも、末期の哀愁漂う姿に虜になっちゃいました。

私の訪ねた路線  第131回  標津線 その1 西春別線

私の訪ねた路線  第131回  標津線 その1 西春別線

『私の訪ねた路線』  第131回  標津線 その1 西春別線 〔北海道〕 原野の長大なアップダウンをゆく泉川~光進 《路線データ》      営業区間と営業キロ             輸送密度 / 営業係数(’83)    標茶~根室標津・厚床~中標津 116.9km         391   /  1366       廃止年月日                   転換処置               ’8...

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No title * by tom
こんばんは
そうそう。こんな感じですね。標津線。比較的、樹木が多く、そのわりには沿線には特徴的なもの(山、湖、川、建物)がなく、”低木の間を走るアップダウンの多い路線”というのがイメージですね。

No title * by 風来梨
tomさん、こんばんは。

この大平原の起伏の地形に逆らわず、真っ直ぐに線路を敷いていましたね。 始めの方に掲載したオレンジカードの図案のように撮りたかったですが、当時の210mmのエクステンダー手持ちではコレが精一杯で・・。

No title * by isao&よっちゃん
こんばんは。
廃止当日の様子が当時ビコムから発売されていたVHSに詳しく載っていましたね。
キハ24、懐かしいですね。
私は1987年生まれですが、幼い頃は函館でよく見ました^^

No title * by タケちゃん
こんばんは。
標津線といえば、まずはあの不思議な線形・・・・T字型とでもいうのでしょうか・・・純真無垢な?少年は時刻表を見ながら、「乗ってみてぇなぁ~」と思っていましたが、その夢は結局叶わずでした。

結局、こちら方面を訪れたのは廃線後・・・中標津町の大きさと、商業施設の多さに驚いた事を覚えています・・・・「何も生活に不便がないじゃないか!」と。
確か町の入り口の公園にはC11が静態保存されていたなぁ・・・・。

計根別(この字を変換で出すのに苦労しました)、養老牛温泉、開陽展望台等々の素晴らしい景色や環境・・・もし路線が残っていたとしたら、結構な観光路線になっていたのではないでしょうかね?
中標津には空港もありますし・・・ま、夢を語るのは勝手ですからね。

No title * by 風来梨
よっちゃんさん、こんばんは。
お返事が遅れてスミマセン。

キハ24は、かなりの稀少車種だったようですね。
皆さんに感嘆の声をあげられます。 私は標津線と深名線で撮影することが叶いました。 外観はキハ40(とまではいかないけど)型、車内ははキハ22という代物でしたね。

No title * by 風来梨
タケちゃんさん、こんばんは。
お返事が遅れましてスミマセン。

そうですね。 厚床線から中標津に入る瞬間は、真にパラレルワールドにハマってしまったかの錯覚を覚えました。 さっきまで原野だったのが、東武・長崎屋の百貨店ですからね。

そして、挙げて頂いた観光地の他にも、標津沖のオホーツク流氷やトドワラ・野付半島・尾岱沼・アイヌのポー川遺跡・鮭の遡上など、釧網本線に匹敵する観光路線になりそうですね。

また根室標津は、我が憧れの根北線の幻の終着駅だったりして・・。

私の訪ねた路線  第130回  只見線 その2 会津川口~小出

私の訪ねた路線  第130回  只見線 その2 会津川口~小出

『私の訪ねた路線』  第130回  只見線 その2 会津川口~小出 〔福島県・新潟県〕 雨の田子倉湖と 《路線データ》       営業区間と営業キロ           輸送密度 / 営業係数(’15)     会津若松~小出 135.2km          304  /  258 運行本数(’20)会津若松~会津川口 6往復 ,会津若松~会津坂下 1往復会津川口~只見 バス 下り6便・上り7便 、只見~小出 ...

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スノージェット * by ムサゴロ
「スノージェット」なんて単語はありません。最近、誤用している人を多く見掛けますが、正しくは「スノーシェッド」

Re: スノージェット * by  風来梨
ああ、そうですか・・。

辞典片手に記述している訳ではないので誤字脱字の一つ二つは必ずあるし、これを完璧に防ぐ手立てはありませんので。
それに指摘したって事は、文として読めてますね。 なら、それでいいのではないでしょうか?

間違いの指摘を内緒で投稿するなど相手に配慮を見せるならまだしも、相手に不快感を与える貴方はチト頭が弱いですね、
たぶん他にも間違いはあるだろうけど指摘はもう結構ですし、それが目当てならもう来てこのブログを見て頂く必要はありません。


私の訪ねた路線  第129回  只見線 その1 会津若松~会津川口

私の訪ねた路線  第129回  只見線 その1 会津若松~会津川口

『私の訪ねた路線』  第129回  只見線 その1 会津若松~会津川口 〔福島県・新潟県〕 雨上がりの増水した只見川を渡る会津西方~会津宮下にて 《路線データ》       営業区間と営業キロ           輸送密度 / 営業係数(’15)     会津若松~小出 135.2km          304  /  258 運行本数(’20)会津若松~会津川口 6往復 ,会津若松~会津坂下 1往復会津川口~只...

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No title * by オータ
こんばんは。
不通区間の問題から 廃線の噂も出始めていますね。やはり、モータリゼーションの影響でしょうか? 乗る機会が無かったので、なんともわかりません。

No title * by 風来梨
オータさん、こんばんは。
廃線の噂も出始めましたか・・。
廃止されたローカル線と成績が同じような只見線が残った理由は、今まで不通区間だった越後川口~大白川の冬季の代行輸送ができない・・って事でしたから。

でも、国道252号はかなり快適な道へと整備され続けていますし、六十里越(田子倉の峠)も、やや勾配がキツいですが北海道の日勝峠なみに改良されてます。 また、八十里越の国道289号線建設は放棄されたようですが、越後須原からの県道があれば栃尾や三条に抜けれますので問題がないですね。

これらの道路整備で「冬の輸送問題も解決した」と捉えられると只見線の命運は尽きますね。

私の訪ねた路線  第128回  釧網本線

私の訪ねた路線  第128回  釧網本線

『私の訪ねた路線』  第128回  釧網本線  〔北海道〕 点在する薄流氷と貨物列車北浜付近にて 《路線データ》釧網本線       営業区間と営業キロ           輸送密度 / 営業係数(’15)     網走~東釧路 166.2km            513  /    583 運行本数(’18)    網走~釧路    5往復(内 快速1往復)    網走~知床斜里  下り4本・上り3本(内 2往...

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No title * by タケちゃん
こんばんは。
私は、キハ22の写真に・・・・賛同します!いい写真です。
高校時代・・・・3月にDE重連牽引の混合レを撮りたくて、浜小清水駅で下車、当時の「原生花園乗降場」まで寒風吹きすさぶ中、国道を歩いたことがありました。
ところが来た列車は、重連であったものの貨車の連結は無し・・・・心が折れて路線バスで浜小清水駅まで戻って、キハ22の「しれとこ」に乗って網走まで行きましたね~・・・・。

網走駅前のラーメン屋で食べた「かに味噌ラーメン」、美味かったなぁ・・・・・。

No title * by 風来梨
タケちゃんさん、こんばんは。
お返事が遅れましてスミマセン。

シャドーに光る・・ 微妙な写真に御賛同頂き感謝です。

今年の冬は、釧網本線の釧路口も狙ってみようかな・・なんて企んでいます。 正月は流氷には少し早いし、流氷といえば名寄本線の沙留と興浜北線・北見神威岬、興浜南線の日ノ出岬で、これらの路線の右に出る所はないかなぁ・・って思いますので。

寒い時のラーメンは格別ですね。 ラーメンはやっぱり味噌ラーメンですね。

No title * by オータ
二十八年ほど前、遠矢駅で駅ネ したことがあります。当時は昔ながらの駅舎で快適でしたね。

東藻琴から村営の簡易軌道、斜里から根北線、中斜里にはホクレンの製糖工場、また標茶からも町営簡易軌道が走っていた時期もありました。昔はかなり賑やかな沿線だったようですね。今は 観光路線として生き残るしかないでしょう。

No title * by 風来梨
オータさん、こんばんは。
私の年代の青春時代(死語)は、鉄道が鉄道らしくあった末端の時だったと思います。 そして日本も、僅かばかりの乗客でも安全・正確無比の輸送を提供できる力があったと思います。

開拓から始まって、より便利になり、更に便利を求め続ける時代の流れからすれば、現在の幹線区以外は生き残れない鉄道の状況も仕方がない・・と思いますが、その代償として豊かな情景を魅せる魅力とそれを旅して味わう豊かな心を失いましたね。

私の訪ねた路線  第127回  興浜南線

私の訪ねた路線  第127回  興浜南線

『私の訪ねた路線』  第127回  興浜南線  〔北海道〕 点在する流氷と単行気動車興浜南線の乗車証明書より 《路線データ》       営業区間と営業キロ              輸送密度 / 営業係数(’83)     興部~雄武 19.9km               203   /  1734     廃止年月日          転換処置          廃止時運行本数     ...

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No title * by タケちゃん
こんにちは。
昨年、道北地方を旅した際に天北線、興浜北線・南線、そして名寄本線の廃線跡を横目に南下しました。
もう、見れば見るほど、廃線が悔やまれて仕方がない見事な景色の中を走っていますよね。湧網線だって然りでございます。

雄武の道の駅、立ち寄りました・・・・確かに、買い物客が多かったように記憶しております。

DD14の写真、ものすごく近くで撮られていますね~。
迫力あって素晴らしいです。
当時は、いくら赤字であろうが、廃止決定路線であろうが除排雪列車は、必要があれば、かっきり運転されていましたよね・・・この「鉄路を守る」という姿勢、感涙モノです。

No title * by 風来梨
タケちゃんさん、こんばんは。
お返事が遅れましてスミマセン。

ほんとに、鉄道情景トップ3の所に在りましたね。 オホーツク縦貫鉄道の自らの写真を見る度に、「撮っていて良かった」という気持ちと、「もっと撮っておけば良かった」という悔いが交錯します。

ズワイガニ・・もといDD14ですが、元沢木から戻る途中(線路を伝ってた)に背後から忍び寄ってきたものです。 撮った後、雪をぶっ掛けられて半分生き埋めになりました。 褒められた話ではありませんが、今となってはいい思い出ですね。

No title * by オータ
こんにちは。
1982年に一度だけ乗りました。あちこち回るのに忙しくて、撮った写真は雄武駅での数カットだけです。(未公開のはずです)

後に 下川に住んだとき 流氷を見に 日の出岬へ車で行きました。峠を越えてわりとすぐなのです。 海辺で流氷を見ながら、ホテルの異様な、そぐわない感じを抱きましたね。

No title * by 風来梨
オータさん、こんにちは。

廃止になって久しくたった時に廃線跡を訪れて、私もやっぱりあのホテルの威容には愕然としましたね。

それと、更に哀愁を感じたのが、あのダイヤモンド型の展望台です
冬だったからかも知れませんが、完全に封鎖されていて、下の荒れ狂う波と共に眺めると無常感をヒシヒシと感じましたね。

私の訪ねた路線  第126回  天北線 その2 浜頓別~稚内

私の訪ねた路線  第126回  天北線 その2 浜頓別~稚内

『私の訪ねた路線』  第126回  天北線 その2 浜頓別~稚内  〔北海道〕 夜明けの原野を一番列車がゆく浅芽野~猿払 《路線データ》      営業区間と営業キロ           輸送密度 / 営業係数(’83)      音威子府~南稚内 148.9km          418  /   884                       ...

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No title * by タケちゃん
こんばんは。

元稚内市民といたしまして、感慨深く記事を拝見致しました。

そもそも、私が仕事の転勤で稚内へ赴いた時は、天北線の痕跡しか見られませんでしたが・・・・渓流釣り大好き人のワタクシ、曲渕、小石、鬼石別・・・・通っておりました。
で、どう見ても鉄橋の跡でしょう、という痕跡を川から見つけ、その川床には、かすかに「旭川鉄道管理局」と書かれた看板が横たわっておりました。

その時ばかりは、釣りを忘れてじっと見入っていましたよ。

No title * by 風来梨
タケちゃんさん、こんばんは。
お返事が遅れてスミマセン。

天北線の最後の区間は、最も鉄道の遺構が残らず原野に回帰した区間ですね。 だからこそ、ちょっとした遺構が心に響きます。

沼川の委託の駅長さんが植えたという櫟の木が立つだけの眺めはモノ寂しげでした。 小石駅跡の『望郷』という石碑も、感慨深いものがあります。

願わくばもう一度・・、あの大平原を伝う列車を眺めてみたいですね。

No title * by kei
風来梨さん、こんばんは。一昨年北海道を周遊したとき、網走から稚内まで車を走らせました。ベニヤ原生花園や宗谷岬の写真を懐かしく拝見させていただきました。廃線前の貴重な写真をありがとうございます。m(__)m ポチ☆

No title * by 風来梨
keiさん、こんばんは。
お返事が遅れましてスミマセン。

私も一昨年の正月に、『オホーツク縦貫鉄道を訪ねて』との企画で、根室から稚内までレンタカーで伝いました。 この項目での廃線後の現況写真は、この時に撮ったものです。

この『オホーツク縦貫鉄道』の遺構めぐりは、今の私にはライフワーク的なものとなっています。

かつて、『オホーツク縦貫鉄道』を訪ね乗車できた幸運と、もっともっと撮っておくべきだった・・という後悔とが錯綜する路線ですので。

私の訪ねた路線  第125回  天北線 その1 音威子府~浜頓別

私の訪ねた路線  第125回  天北線 その1 音威子府~浜頓別

『私の訪ねた路線』  第125回  天北線 その1 音威子府~浜頓別  〔北海道〕 天北原野を伝う孤独なランナー浅芽野付近にて 《路線データ》      営業区間と営業キロ           輸送密度 / 営業係数(’83)      音威子府~南稚内 148.9km          418  /   884                    ...

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No title * by オータ
かつては 小頓別から 歌登町営軌道が 北見枝幸まで通じていましたね。宗谷バスの路線はその代替なわけです。

松音知は 小学生の時、ローカル線の写真集(大森某 さんという方の)ので高床式の駅舎にとても興味を持ったものです…

No title * by 風来梨
オータさん、こんにちは。

歌登町営軌道をググッてみましたが、天北線(当時は宗谷本線)の当初の計画では小頓別~歌登~枝幸~浜頓別~稚内だったそうで。

もし、こうなっていれば沿線人口的にはマシだったかもしれないけれど、あの斜内桟道の急カーブを急行が走るならスピードダウンは必定・・などと、変な妄想をしている私です。