2022-10-29 (Sat)✎
『路線の思い出』 第506回 只見線・田子倉駅跡 秋景色 〔福島県〕
駅寝した朝に撮った田子倉駅
《路線データ》
営業区間と営業キロ 輸送密度 / 営業係数(’15)
会津若松~小出 135.2km 304 / 258
運行本数(’22)
会津若松~会津川口 6往復
会津若松~会津坂下 1往復
会津若松~小出 3往復
小出~大白川 1往復
※ ’11年7月の豪雨災害により会津川口~只見の区間が不通となり、
この区間は現在バス代行輸送となっていたが、’22年10月1日に
被災区間の全線復旧工事が完了し、運行再開の運びとなった。
なお、復旧区間の運行は、JR東日本運行業務のみ請け負う上下
分離方式となり、路線設備の管理や路線経営は地元自治体が引き
受ける形となっている。
スノージェット内にある
駅跡を通過する只見線列車
田子倉駅(たごくらえき)は、かつて福島県南会津郡只見町大字田子倉字後山にあったJR東日本・只見線の駅である。 冬季(12~3月)は豪雪のため閉鎖されていた臨時駅であったが、2013年3月16日のダイヤ改正で廃止された。 当駅から会津若松方面が仙台支社管内であったが、廃止後は隣駅であった只見駅から会津若松方面が仙台支社管内に変更されている。 大白川方の六十里越トンネル内に新潟支社との境界がある。
駅往時は『撮り鉄』も
登山者も皆無だったよ
線路の北側に単式ホーム1面1線を有する会津坂下駅管理の無人駅で、列車が大白川方の六十里越トンネルと只見方の田子倉トンネルの間で少しだけ外に出る地点に位置していた。 ホームは南側の田子倉湖と北側の崖に挟まれた低い場所にあり、スノーシェッドに覆われていた。
スノージェット内は砂利敷きの
通路と階段でホームに覆われていた
:
階段の踊り場がテント適地だったりする
ホームの中ほどから北側に階段が上がっており、これを登ると駅舎を通って崖の上を走る国道に出る事ができたが、駅舎の内部は階段と砂利敷きの通路のみであった。
田子倉駅の正駅時代は
季節運行の急行【奥只見】も停車していた
廃止前は東北地方の鉄道駅では最西端の駅であり、臨時駅でもあった。 だが、駅設置当初は季節運行であったが急行【奥只見】も停車するなど正式な駅だった事もあり、営業キロと換算キロの設定があった。 2004年度の乗車人員は、1日平均0人との事。
2011年7月30日に発生した新潟福島豪雨により営業休止し、大白川~只見が復旧した後も、当駅の休業は継続されて通過となっていた。 2012年9月12日に、JR東日本新潟支社(田子倉駅の管轄は仙台支社であるが、運行上で深く関わるのは新潟支社であった)は定例会見において当駅を廃止する方針を表明し、2013年1月に只見町側に同年3月で廃止する意向を伝えた。 只見町や町議会は容認できないと反対の姿勢を取っていた。
2つの長大トンネルの僅かな間の
田子倉湖畔にスノージェットが
設置されてその中に駅があった
田子倉湖畔にあった。 駅周辺には浅草岳や鬼ヶ面山などの奥只見の山々への登山口が点在するのみの無人原野地帯で、周囲数kmには商店はおろか自動販売機すら存在せず、もちろん家屋などは一切なかった。 大白川方向へ少し歩くと、只見町が登山基地として設けた田子倉無料休憩所があり、トイレもある。
一見して駅だとは到底思えまい
:
急行の停まる正駅から
冬季休業の臨時駅となって
災害後休止状態のまま
駅廃止となった田子倉駅
前述のように、2001年12月のダイヤ改正で冬季は休業となる臨時駅に格下げとなり、以来冬季(12~3月)は全列車が当駅を通過していた。 また、駅前を通る国道252号(六十里越)は、積雪が多く雪崩の危険がある為にほぼ半年間は不通となり、春先の4月や晩秋の11月などは当駅周辺へのアクセス手段が只見線の列車のみとなっていた。 また、停車する列車も1日3往復しかなかった。
かつては雪で駅舎が埋もれても営業する
秘境中の秘境駅であった田子倉駅
これらの特徴から当駅は、いわゆる秘境駅の一つとされていた。 だが、2001年12月に臨時駅に格下げられるまでは、国道が雪に埋もれて不通となる中で雪に埋もれて脱出不能であるにも関わらず、営業していた駅でもあった。 そして、利用客を比較すると、道路が開通する無雪期より雪で閉鎖状態となった冬の方が利用客があったという事である。 それは、田子倉湖畔でのワカサギ釣りや料亭関係者のワカサギ漁が行われていた為である。
駅廃止後も放置される形で
現存している田子倉駅舎
※ ウィキペディア画像を拝借
駅廃止後も駅舎はスノージェット内に放置される形で現存しているが、駅舎内に入る事はできない。
なお、通過列車の中から出口に向かう階段、待合用のベンチと共にホームが残っているのが確認できる。
1日3往復で始発が9時前と10時前と
利用に耐えなかった災害分断時の
只見線・新潟側区間
恐らく、日本の駅の中で最も紅葉の美しい駅と言えは、2013年3月に駅廃止となった田子倉駅であろう。
雪を被った浅草岳と燃える紅葉と
数年前まで我が国随一の紅葉を
知らなかった事を今更悔いるよ
人は無くなってからかつてあったモノを惜しむ傾向が高く、駅廃止になるまでは不便極まる無人原野に寄りつく人は皆無であったが、近年では国内有数の紅葉の名所として、また我が国指折りの秘境・只見郷として著名観光地となっている。
雪に埋もれた駅から這い上がって
目にした美しき湖の蒼
だが、ワテは駅往時の方が思い出があり、冬の雪に埋もれて脱出不能だった駅から冬の田子倉湖の絶景にも魅せられている。 もちろん、取り壊された旧田子倉休憩舎泊を含めて何回も駅寝をカマしているしィ。
この立ち位置は
前人未到のアングルだと思うよ
:
だって氷結した湖の上だもの
極めつけは、凍った湖の上に降りて『撮り鉄』もカマしているしィ。 今イチの写真だけど、たぶんこのアングルで撮ったのワテ以外にいないと思うよ。
駅跡からは近かったが
片道4時間以上かかり
デンジャラスゾーンもあって
田子倉から登る登山者は少ない
また、日本の駅で最も登山口が近かった(登山口まで約250m)浅草岳の登山でも、田子倉駅を半分利用している。 それは車で田子倉登山口まで赴き、浅草岳に登って只見側の入叶津に降りた為、入叶津最寄りの会津蒲生駅(最寄りと言っても駅まで6.7kmある)から田子倉まで、車を回収するべく乗ったのである。
旧田子倉駅にあった名所案内
:
確かに登山口まで250mと
日本で登山口に最も近い駅だが
この山に登るのに鉄道に乗った奴って
ワテ以外にいないのでは?
その時はヤマ期で宝石のような価値となる『会津蒲生→田子倉』の車内補充券を紛失してしまったよ。
今も現物で持っていれば、オークションで万の価値がつく補充券となっただろうに・・ね。
まぁ、会津蒲生から田子倉までの利用客自体が、ワテ以外に存在しなかっただろうけど。
数年前までこの橋梁の事も
知らなかったナンチャッて極まるワテ
話は脱線してしまったが、田子倉駅跡での思い出は田子倉駅在りし時で、紅葉目当ては只見線が豪雨災害で分断されて路線廃止も検討されるようになってから、始めて気が着いたっていうか、ぢ・つ・わ・・只見線で超有名な只見川第一橋梁も知らなかったのである。 たぶん、コレは『鉄』から石を投げられるレベルの恐るべきナンチャってぶりだろうね。 その他にも、『甲種回送』ってラッセル車の運行の事だと思っていたしィ。
足を捻挫してヤマを断念して
『撮り鉄』に専念した1枚
その紅葉への気づき始めは、浅草岳に登るべく予定で訪れた事であった。 だが、旅を計画してバスの予約も入れてキャンセル不能(キャンセル料が発生するコスいワテ的にはキャンセル不可状態)になった2週間前の西穂高岳登山(本当は奥穂までの岩稜縦走を目論んでいたがヘタれて撤退)で、ロープウェイ駅の1キロ手前の何でもない所でコケてこっ酷い捻挫をカマしてしまったのである。
足を捻挫して大人しく
道路上から撮って正解
浅草岳を背景の絶景をゆく
只見線列車
捻挫した足では浅草岳登山は到底無理なので、旅の計画自体を只見線の『撮り鉄』に切り替えたのである。 それで初めて知ったよ。 只見川第一橋梁を・・。 それも、最もいい季節である紅葉に彩られる秋に・・。
翌年には捻挫で登れなかった
浅草岳のリベンジも果たしたよ
それからは、浅草岳のリベンジ登山も含めて3年連続で秋の田子倉に通ったよ。 それに、ワテはナンチャってであるがヤマもやっているので、田子倉の駐車場でテントを張って野宿(寒かったら車寝)も厭わないので、誰も知らない夜明けの田子倉の情景やかつて運行していた大白川始発の小出行列車の送り込み回送なども撮ったよ。
田子倉で夜を明かすと
朝一番の靄の掛かる紅葉を独り占め
朝の湖から上がる靄も
秋の絶好のアイテムとなるよ
列車が来る1時間前までは
誰もいない静寂な秋の紅葉が楽しめる
まぁ、浅草岳は片道2時間半で登れる大白川側のネズモチ平登山口が整備されて、田子倉から登る登山者は少なくなったし、かつては登山口前に建っていて、中にテントを張って泊まる事もできた『田子倉休憩舎』が取り壊されて、宿泊禁止の休憩所となってしまったのは(ワテ的には)痛いよなぁ。
田子倉の紅葉の魅力は鬼ヶ面山から
派生した岩稜も色着く事である
そして、カメラマンの撮影スポットとして宣伝されて大きな駐車場も設けられるなど、シーズンには日に1000台以上の車が往来するなど、秘境とはいえないような『秘境観光地』となってしまったけど。
今は紅葉の有名スポットとなっている
元は誰もいない無人原野の秋
撮り鉄が大挙してやってくる
列車通過の1時間前までに歩き周る
紅葉撮影は終わらせておくべきだろうね
もちろん、『撮り鉄』も大勢やってくるよ。 でも、デシタルとなって発想力が枯渇したのか、川とトンネル周囲の紅葉だけの列車ドアップなど、惹かない写真ばっかりだね。
場所取りで喚き合ってる
デジカメ連中を避けて
国道のスノージェットの間から
我一人だけのアングルで撮る
そして、沢に降りて上から構える奴らと『入るからどけ!』とひと悶着を起こすのもいるね。
また、こんなとこまで来て、デジカメ2台を据え付けた巨大三脚と脚立だわ。 でも、雪を被った浅草岳はアングルの対象外で、バズーカ砲のような望遠レンズを据え付けているよ。
デジカメの連中には
雪を被った浅草岳を取り入れる
思考はなかったみたいだ
:
あんなバズーカレンズでは
列車とトンネルと僅かな紅葉の入った
下らないアングルしか採れないよ
もうデジタルって、人間の能力・モラル共に奪い取る魔の兵器と化しているね。 ホント、ワテがカメラを知った時がフイルムカメラで助かったよ。 それでは、田子倉の秋の紅葉をごろうじろ。
今年は復旧初年で
人だかりだろうから
来年回しにしようかと
岩塔に紅葉の十二単を
着せてもいいし
岩塔の岩肌剥き出しの
荒々しい姿と紅葉もいい
デジカメ達が来て場所の取り合いとなる前に
美しい紅葉を撮れるだけ撮っておこう
2度目以降は逆光で紅葉が
フラッシュするのを防ぐべく
敢えて露出補正を緩くしたよ
ローカル線を追いかけていた時の
ワテもそうだったけど
入り込むと周りの絶景が見えないね
:
『撮り鉄』では誰も紅葉に
カメラを向ける奴はいなかったよ
デジカメの連中が狙わない
アングルで撮ると
秋の紅葉が画面いっぱいに広がってくる
10時前の折り返し小出行が通り過ぎると
途端に誰もいなくなり光線状態も
逆光となって紅葉が濁ってくる
なので県境付近にある
あいよしノ滝めぐりで1粒で2度美味しく
今日本の雇用形態も終身雇用の
年功序列の給料体系から
欧米型の能力主義である
『ジョブ型雇用』へと変わっていきつつある
でも目先の給料が上がるからと
『ジョブ型雇用』を支持する奴は
かなり頭が弱いと思うよ
それは今は能力が発揮されるであろうから
目先の給料も上がっていいだろうよ
でも20年先には歳を食って
給料の高いお荷物となるのである
そして完全な欧米型の『ジョブ型雇用』
となると真っ先に切られるのが
『ジョブ型雇用』を支持して
高給取りのお荷物となった
ノータリン共なんだよね
雇用側も『ジョブ型雇用』の最大の
目的である解雇権の取得に走る訳で
雇用側の思惑通り『ジョブ型雇用』を
支持した奴らは「オツムの弱い奴」として認識され
事が成った時に真っ先の餌食となるんだわ
金利でも何でも欧米に合わせろと言うけど
欧米型雇用は給料は能力制で
その時に仕事ができれば給料は高いが
不況になると簡単にクビを切られるよ
そして有能な奴もいれば
ワテのような知識も技術もなく
仕事のできない無能もいる
その比率は有能2:普通7:無能1だろうか
でも仕事のできない無能も働いて
食っていかねばならないのだ
だからこそ「無能でも有能に負けずに
その場を切り抜ける思考力」が必要なのだ
その一例がワテが実践している
今の企業勤めはクビにならん程度に
適当にして自身で伸びると確信した
副業の家主業に邁進し
本業と副業の逆転を企てる事である
でも会社の中が有能と普通だけで
無能をスポイルしたなら
普通の奴らが有能と目される奴の
奴隷と化して企業自体が傾き始めるよ
そんな仕事のできる奴だらけの企業は
伸びしろが全くなくて成長もない
発想の転換やひらめきは無能の「楽したい」
という下心から生まれる事が多いのだ
だからこそ日本のいい面を
守り維持していく考えが
欧米へのコンプレックスから
否定されつつある現状を憂うのである
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Re: No Subject * by 風来梨
hanagonさん、こんばんは。
仰る通り、只見線が浅草岳登山客の要に供していたのは1980年代前半までですね。 1971年の関越自動車道の開通を皮切りに、2時間半で登れるネズモチ平からの登山道整備や只見線列車の減便や夜行列車の運行廃止で、私が本格的に登山を始めた1990年代には、恐らく只見線利用で浅草岳に登る登山者はほほ0だったかと。
少なくなった田子倉からの登山者も、皆マイカーでやってきていました。 谷川岳の土合と同じく、1990年代に著名な山への鉄道利用はほぼ消滅してましたね。
私は自身が登山をし始めた1990年代中頃の状況しか知りませんが、この時の田子倉からの浅草岳登山での鉄道利用は皆無でしたね。 皆車でした。
逆に冬は只見からの朝の列車からはいつも3〜4名のワカサギ釣りの釣り趣味者や、中には大型クーラーバッグを担いだ漁師もいたようです。 冬の旬としてのワカサギやヤマメなどを料亭などに卸す為、2人がかりで漁をするべく下車した方も見かけました。
それがはじめて田子倉に降りた時の、JR転換間もない1990年の初頭の光景でしたね。
仰る通り、只見線が浅草岳登山客の要に供していたのは1980年代前半までですね。 1971年の関越自動車道の開通を皮切りに、2時間半で登れるネズモチ平からの登山道整備や只見線列車の減便や夜行列車の運行廃止で、私が本格的に登山を始めた1990年代には、恐らく只見線利用で浅草岳に登る登山者はほほ0だったかと。
少なくなった田子倉からの登山者も、皆マイカーでやってきていました。 谷川岳の土合と同じく、1990年代に著名な山への鉄道利用はほぼ消滅してましたね。
私は自身が登山をし始めた1990年代中頃の状況しか知りませんが、この時の田子倉からの浅草岳登山での鉄道利用は皆無でしたね。 皆車でした。
逆に冬は只見からの朝の列車からはいつも3〜4名のワカサギ釣りの釣り趣味者や、中には大型クーラーバッグを担いだ漁師もいたようです。 冬の旬としてのワカサギやヤマメなどを料亭などに卸す為、2人がかりで漁をするべく下車した方も見かけました。
それがはじめて田子倉に降りた時の、JR転換間もない1990年の初頭の光景でしたね。
田子倉駅からの浅草岳登山は一定数いたと思いますよ。以前はムーンライト越後(小出停車します)、もっと以前は夜行鈍行長岡行きもありましたし。
小出で一番列車に乗れば7時過ぎにはここに到着できるので、定期列車としての急行奥只見もあったし、最終列車までには余裕でピストンできたはずです。
夜行土合駅からの谷川岳登山者がまだいた頃の話です。
2013年に訪れた田子倉廃駅はこちらです。
https://hanagon60.blog.fc2.com/blog-entry-1264.html