2021-10-02 (Sat)✎
よも”ヤマ”話 第154話 妙高 その1 (妙高山) 〔新潟県〕 '96・8
妙高山 2454m【名峰百選 61峰目】
隣にそびえる
火打山より望む妙高山
妙高山 みょうこうさん (妙高戸隠連山国立公園) ※2015年に上信越高原国立公園より分離制定
新潟県妙高市にある標高2,454mの成層火山で、北信五岳の一つである。 標高では肩を並べる火打山 2462m に一歩譲るが、北信五岳の盟主となる峰である。 かつては『上信越高原国立公園』に属していたが、2015年3月に妙高・戸隠地域が新たなる国立公園の『妙高戸隠連山国立公園』として分離制定されて、それ以来は『妙高戸隠連山国立公園』に属している。
馬蹄形をした爆発カルデラの外輪山と、中央火口丘となる最高峰の溶岩ドームから構成される火山で、活火山のランクCに指定されている。 新潟県を代表する山の1つであり、越後富士(えちごふじ)の異名を持ち、北信五岳のひとつとして親しまれる。 また近隣の火打山、焼山と共に頸城三山を形成している。
山頂からの雄大な眺めや、広大な草原とそこに彩るお花畑、見事な渓谷と滝など山の魅力をいっぱい兼ね備えている。 また、山麓は温泉が湧く『いで湯の里』で国内有数のリゾート地だが、豪雪地域にそびえる山の為に、過ぎたるリゾート開発やスキー場のゲレンデなどの乱開発によって自然環境を損なう危惧もある。
山名は、古くは『越の中山』(こしのなかやま)と呼ばれていたものが、好字二字令により『名香山』と当て字され、それが「みょうこうざん」と読まれるようになり、『妙高山』の字が宛てられたものである。
妙高・火打 周回ルート行程図
行程表 駐車場・トイレ・山小屋情報
《1日目》JR妙高高原駅より車(0:40)→笹ヶ峰(2:00)→富士見平(0:40)→黒沢池ヒュッテ
(0:50)→燕新道分岐(1:10)→妙高山(1:45)→黒沢池ヒュッテ
(0:50)→高谷池ヒュッテ
《2日目》 高谷池ヒュッテ(0:15)→天狗ノ庭(1:10)→火打山(1:10)→高谷池ヒュッテ
(0:40)→富士見平(1:45)→笹ヶ峰より車(0:40)→JR妙高高原駅
トロイデ火山の独特な
容姿を魅せる妙高山へ
《1日目》 笹ヶ峰より妙高山へ
このコースは《1日目》を7時間を越える「ややキツい」行程としたので、前日アプローチは必須となる。 もちろん、前夜は車寝だ。 当時は笹ヶ峰にまともな駐車場などなく、登山口前の数台車を止めれるスペースに陣取るしかない。 でも、『放浪山旅』用の車なので、買い出しせずとも食料は大量に積んである。 なので、安心!?して車中宿泊ライフが送れるのである。
昼は草原と牧歌的な情景を
求めて観光客がやってくるが
夜は放牧の牛も牛舎に入り
静まりかえった真っ暗闇になる
※ 新潟県観光協会のウォブペーシより
そして、この時はまだ登山ブームと言えるほどに山への人出はなく、前夜から登山口で車中泊かるような登山者もいなかったので、名を馳せた山なのに登山口はワテ一人っきりの閑散としていたよ。
言い換えれば、真っ暗闇で車寝する変な方向に肝が据わってないと、『放浪山旅』はできないのだぁ。
しょうもない『前置き』はこの辺で留めて、もちろか翌日は空が明るくなったら出発の早朝登山だ。
遅い時間に上り始めると、タイムオーバーで《黒沢池ヒュッテ》止まりとなりかねないからである。
これでも行程的には成り立つのだが、《2日目》に火打山や《天狗ノ庭》での朝の雰囲気を味わえなくなるしィ。
せっかく『名峰』に登るのだ。 しかも、『プー』になって放浪してまでやってきたのだから、より魅力的な山旅になるようにしたいものだしィ。 それにテント幕営なら、《高谷池ヒュッテ》前の方が広々としていて水場もいいので絶対的にお得だしィ。
草原が広がる笹ヶ峰が登山口だ
※ 別の時に撮影
さて、《笹ヶ峰》の登山口に入ると、木道がしばらく続く。 林道の終点で木道は途切れ、ブナの大木が立ち並ぶ並木道を緩やかに登っていく。 緩やかに登って少し下ると、清らかに瀬音を響かせている《黒沢》に出る。 まだ息も上がっておらず水を欲するには少し早いが、この山の恵みの清らかな水で喉を潤すとしよう。
道は、この《黒沢》を渡ると急登となる。 《黒沢》の右岸に取り付き、その岩肌を縫うようにつけられた道を斜めに登っていく。 少し汗をかいた頃に振り返ってみると、《黒沢》が小さく見えて結構登ってきた事を実感できる。 やがて沢と離れ、通称『十二曲がり』と呼ばれる、大岩を巻いたりよじ登ったりするつづら折りの急登に差しかかる。 この辺りが、このコースのハイライトと言えるだろう。
ツリガネシャジン
:
『十二曲がり』を登り切った
辺りから山の花が
チラホラと姿を現し始める
この急登は再び《黒沢》を眼下に見下ろす高台に出ると終わりを告げ、ここからはブナやツガなどの樹木が立ち並ぶ尾根上を歩くようになる。 尾根上の道は所々ぬかるみや落葉で埋もれているが、そこは人気のある山の事、それらのひどい所は木道を敷設してある。 いっとき穏やかな道が続くが、やがて急登となって木道も段差やステップ付となってくる。
この急登を乗り越えると、樹林帯を抜けて《富士見平》の分岐に差しかかる。 この分岐を左にいくと、《高谷池》を経て火打山へ至る。 右への道は、これより目指す《黒沢池》への道だ。 なお、先に火打山を目指すのもいいだろう。
《富士見平》の分岐付近に
咲く花は亜高山隊の花の
キヌガサソウなどが多かった
分岐を右に進路を取ると、笹の中につけられた道をやや下り気味にトラバースしていく。 やがてシラビソなどの針葉樹林帯に突入すると、すっかり小沢となった《黒沢》を跨いで稜線上に登っていく。
登り着くと、視界に広大な《黒沢池湿原》が入ってくるだろう。
ドン曇りだったし
ワタスゲも時期が終わって
いたので写真が撮れず
:
なのでグルナビの写真を拝借
これより、約2kmに渡る広大な湿原の散歩となる。 ワタスゲやイワイチョウ・コバイケイソウ・ニッコウキスゲなど、色とりどりの花が湿原を彩っている。 もし、7月の中旬位なら、名花・クロユリの大群落も目にする事ができるだろう。
8月も盆に差しかかると
湿原の夏の花期は終わり
秋の反・ミヤマダイコンソウ
などが眩い黄色を魅せていた
この広大な湿原は黒沢山の山裾から反対側の山裾まで続き、その広大さを改めて実感できる。
その広大な湿原は、池塘の集まりからなる《黒沢池》で終わりとなる。 ただ、この《黒沢池》は、やや枯れ気味なのが心配だ。 《黒沢池》を越えて少し下っていくと、『ジェントルマンハット』のような変てこな形の《黒沢池ヒュッテ》に着く。
ジェントルマンハッドのような
建物の黒沢池ヒュッテ
この小屋の水はどうやら天水利用らしく、またテント場も小屋前の小狭い広場に3~4張が限度で、あまりいいロケーションとは言い難い。 小屋を利用せずに水を分けてもらうのも悪いので、出発時に《黒沢》で汲んだ水で喉の渇きを癒すとしよう。 小屋前の広場でひと息着いたなら、荷物を小屋前にデポって盟主・妙高山へ登る。
小屋前から延びる細い小道が妙高山への登山道だ。 この道に入ると、いきなり急登が始まる。
約150mの急登をこなすと、《大倉乗越》という峠に登り着く。 ここからが大変だ。 峠という事は、ここまで登った分、いやそれ以上に下っていかねばならないからである。 それも、土砂崩れの跡を横切る道を・・である。
ツリガネシャジン
:
この土砂崩れ帯の
縁に咲いていた
まずは、土砂崩れによって堀り抜かれた黒土のルンゼを下っていく。 これがとんでもない急傾斜で、足場も滑りやすく木の根につかまりながらの下降を余儀なくされるのである。 次は崩壊地のトラバースだ。 この地点は落石が多く、また道幅も狭く歩き辛い。 また、時期が早ければ、残雪などで事さら厄介となろう。 このような道が続くので、コースタイムは長めら取ったのだが・・。
眼前の岩入道。妙高山へは
《長助ノ池》の湿地帯までタダ下りして
その下った分+400mを登り返す
なお、この厄介な下りは、帰りには急登となって疲れた体に襲いかかるので覚悟しておこう。
この厄介な道を越えると、《長助ノ池》とその湿原を下に見て《燕新道分岐》に着く。 ここからは、妙高山へ向けて標高差400mのイッキ登りだ。 でも、始めに残る残雪のぬかるみ以外は、気遣うような所はなく確実に登っていける。
岩を一つ一つ登ると、それだけ「登っている」という事が実感できて気分的には楽な登りだ。
上にそびえる妙高山の岩壁を見ながら登っていくと、ロープが垂れ下がってあるルンゼ状の崖に差しかかる。 このロープを使ってルンゼの上に這い上がると、先程から見えていた妙高山の岩壁の肩に登り着く。 後は、この岩壁の上を頂上目指して登っていくだけた。 10分もあれば、山頂広場に立つ事ができるだろう。
妙高山の山頂は
露岩が織りなす小庭園だった
:
だが肝心の展望は
ガスって白霧の世界だったよ
妙高山の山頂は広々としていて、眺めも360°の絶景だ。 北は日本海と《佐渡ヶ島》、西は盟友・火打山 2462m と噴煙上げる焼山 2400m 、そして布団菱を魅せる雨飾山 1963m 、東は上越国境の残雪豊かな山々、南は味わいのある稜線を魅せる戸隠山 1904m を始めとする信越国境の山なみと名峰目白押しだ。 この絶景を更に深く味わうには、あと5分歩いて『妙高山大神』を祀る妙高山最高点 2454m へ行くといい。
山岳信仰の深さを物語る
妙高山頂上の石祠と
祝詞を認めた頂上石碑
石仏の彫られた大岩の上から眺めると更に味わい深く、心に残る眺めとなろう。 頂上での優雅なひとときを満喫したなら、往路を戻ろう。 下りは前述でも述べた通り、「所要時間の短縮はほとんど見込めない」っていうか、『奇跡の体力』を有する最盛期のこの時でも 登りより下りの方が時間がかかっていたワテならば、下りも登りとほとんど同タイムとなるだろうね。
今のワテなら《長助ノ池》の砂地で
テントを張ってバタンキュー・
ビバークとなっちまうかも
従って、妙高から下っ再び《黒沢池ヒュッテ》に戻ると、おそらく午後を周っている事だろう。
今のヘタレきったワテの別人ならば、高谷池に着くのは日が暮れる寸前になるだろうね。
早朝に出てコレなのだから、いかに朝遅く出発するのが不利である事が解かるであろう。
この峠の登り始めは
背後に妙高山を従える
後は、《高谷池》を目指していくのみだ。 《高谷池》へは、《黒沢池ヒュッテ》から左手に登っていく。 約20分程で急登は終わり、ササが生い茂る穏やかな傾斜の道となる。 眼下に《黒沢池湿原》を見下ろせて、また背後には入道の頭のような妙高山がそびえ立っている。
茶臼山の乗越を越えると
妙高山に変わって
北信五岳の山々が姿を魅せ始める
緩やかに登っていくとハイマツ帯に差しかかり、この乗越のピークを抜けると今度は下る一方となる。
山も妙高山が隠れて、火打山がすっきりとした姿を魅せ始める。
峠のてっへンは
空の分水嶺だった
下って高谷池に近づくにつれ
青空となって火打山も
スッキリとした姿を魅せてくれた
やがて木道の階段となり、これをつづら折りに下っていくと、《高谷池》の池塘の輝きと火打山という素晴らしい風景が目に入ってくるだろう。 それに向かって下っていく。 まるで、「楽園に向かうが如く」である。
木道の階段を下りきると
『楽園たる風景』が視界に広がる
高谷池湿原に咲く花々
花名不詳の黄色い花
コオニユリ
ヤマタンポポ?
花名不詳
:
咲いていたのは総じて
秋口の反だった
木道の階段を下りきると、火打山からの道と合流して三角屋根の《高谷池ヒュッテ》に着く。
小屋の前に、いい清水の沢が流れる絶好のキャンプサイトだ。
森と池塘に抱かれた
絶好のキャンプサイト・高谷池
今日は、ここで一夜の夢を結ぼう。 明日の朝、この《高谷池湿原》が朝日に染まりどんな情景を魅せてくれるか楽しみである。
※ 続きは次話の『第155回 その2』にて
いつもの派閥の論理で
日本の政治首班は
岸田となったようだか
自民党は東京五輪開催という
国民の虐殺行為を処断しない限り
誰が総裁になっても
日本を貶める在日チョンの
手先である事に変わりはないのだ
もし河野となってたなら
親父の河野洋平と同じく
チョン・シナへの貢譲に明け暮れる
「謝って金を出す」という『謝罪ATM外交』
即ち時計の針が50年逆戻りするだろう
高市がなっていたなら
『天皇信奉右翼』の政治屋集団
『日本会議』の操り人形と化し
国民から権限を奪って搾取に明け暮れる
天皇首班の全体主義に向かっていただろう
早々と国民資産に課税・搾取して
国民の貯蓄を阻む金融所得税の
導入を打ち出していたしィ
だが仮に高市がなったとしても
スパイ防止法や憲法改正は
脆弱な政権基盤をパヨク共に突かれて
早々と退陣となっていただろうね
そしてこの左右特化を嫌った
自民党が選んだのが
「皆のいいなり」となって流される
「政策構想が全くない」岸田だったのである
党人事も呉越同舟当たり前だし
早速就任前の初仕事として党右派の
意向通りに金融所得税導入決定!
次は党内パヨク側の意を汲んで
チョン・シナへの制裁の緩和だな
こんな腐りきった自民党を
立て直す手法はただ一つ
それは国民虐殺行為である
東京五輪開催を煽った罪の糾弾以外にない!
:
‥長くなるので次回に続く
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No Subject * by ねむろ大喜
高山植物は可愛いね( ◠‿◠ )
Re: No Subject * by 風来梨
ねむろ大喜さん、こんばんは。
記事では夏も終わりに差し掛かり、花も秋口の花となってました。
夏はもっと凄いですよ。 咲いている所だけですけど。
その夏の花をどうぞ。
『大雪・五色ヶ原』
https://furai58.blog.fc2.com/blog-entry-1737.html
記事では夏も終わりに差し掛かり、花も秋口の花となってました。
夏はもっと凄いですよ。 咲いている所だけですけど。
その夏の花をどうぞ。
『大雪・五色ヶ原』
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