風来梨のブログ

このブログは、筆者であるワテの『オチャメ』な日本全国各地への探勝・訪問・体験記です。

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やっちゃいました! ファイナル 10/20

昨日(19日)は結局雨は降らなかったものの、道を間違えて別ルートを登ってしまった為に方針変更した「ヘリを呼んで救助してもらう」は、上空にヘリはおろか飛行機も一切飛んでこず、文字通り「沈殿」となってしまった。 でも、この「沈殿」中はよく寝れて(する事ないしィ)身体を休める事ができたよ。

翌20日は願ってもない好天で、「今日が勝負駆け」の気合いが入ってくる。 「今日は10時間かけて、黒部渓谷との合流点である内蔵助沢出合までたどり着き、そこでビバークして翌朝から黒部渓谷を訪れるハイカーを捕まえて救助要請」、「その途中で人に会ったら救助要請」と、生還に向けての行動計画を練る。 この時は「あわよくば黒部ダムまで歩く」事も妄想として持っていた。 

しかし、このタワケは、『オチャメ』ると、見違えるように冴えてくるなぁ。 でも、『オチャメ』る事がなければ、こういった才能は一切必要ないしィ・・という事で、「つくづく残念な奴ちゃなぁ」とワテ自身が思うよ。

テントをたたんで、まだ見つけていない内蔵助平を目指して下り始める。 だが、シャックリ発作による胃の潰瘍+肋骨骨折のダメージが3日間に及び、かなり体力を消耗したようで、ザックを担ぎ上げて立つのに難儀する。

ここでこのタワケの事を「非力」と揶揄するのは、あまりにもこのタワケが可哀想なのでやめてあげてね。 だって、肋骨8本+右足首の骨折+胃の潰瘍を負って20㎏担ぐのだから。

でも、担ぎ上げる事が出来たなら、それまでと同じように何とか歩けるし、ザックの荷の重さもそれほど苦にはならなかったよ。 そして下りは、小さな階段以上の段差があれば四つんばいの『クマ下り』対応なのて、登り時の4倍は時間を食ってるだろう。 また、すぐに息も上がっちゃうしィ。

これらの事で、「1度ザックを下ろすと再び担ぎ上げるのが厄介」と、息が上がっても極力ザックは下ろずに平らな岩で「ザックを担いだままで座り休憩」とした。 まぁ、ザックを下ろせなければザック内にある水は飲めないが、途中には内蔵助沢の分流を度々渡るので干からびる心配はない。

「ザックの水(スティック紅茶味)は転んでザックを下ろさねばならん時に飲もう」と決めるが、ここでもタワケは『オチャメ』をハズさない。 そう決めてからほどなく、座り休憩の際に後ろに背をそらせ過ぎて仰向けとなって起き上がれなくなってしまったのである。 こうなればザックのバックルを外してザックから身体を抜いて、うつ伏せに転がり起きるしか手がないのである。 この時に最後のスティック紅茶を堪能したよ。

さて、時計がないので時間は判らないが、恐らく2時間位かけて内蔵助平とを隔てる沢筋まで下ってくる。 ハシゴ谷のルートは過去に2度通っているが、確かこの沢は細い鉄板の橋で渡っていたハズだ。
でも、その鉄板橋は見当たらず、道を示すピンクリボンも消えてしまっていた。 「再び道をロストしたか?」と戦慄が走ったが、18日に来た時のように「この沢を渡らずに」を意識して草むらに突っ込むとピンクリボンが隠れていたよ。

そのまま進むと、程なく道標標柱の台座のみがおかれた狭い広場に着く。 「これはもしかして道標なのでは?」と思って左右を見回すと、やっと・・、2日ぶりに内蔵助平へ渡る鉄板の道への踏み跡を見つけたよ。 これを伝って沢へ下っていくと、見覚えのある沢を渡す細い鉄板の橋が見えてきた。

ハシャイで駆け降りたい所だが、今転ぶと目も当てられないので慎重に降りていく。 でも、あの道標の残骸はどうにかしろよ! また道迷いの遭難者が出るぞ!って、それはオメエだけ!との耳鳴りが聞こえるのは気のせいか?

さて、この鉄板橋の袂で沢水で喉を潤して先に進んでいくが、記憶にある内蔵助平の木道は見当たらない。 これで最悪の想定ある「内蔵助平でビバークしながら人が通るのを待つ」という選択肢は難しくなってきた。 たが、鉄板橋から100メートル行くと、3~4人用のテントがキッチリと設営されていて、これを目にしたワテは「このテントの持ち主が帰ってくるのを待ち伏せて、ヘルプすればいいんじゃね?」とひらめいて、ここでビバークする事にする。

でも、今設営しているテント以外にテントを張るスペースはなく、ここでビバークするなら17日の沢のほとりの河原で張ったように「ムリヤリテント」となる。 でも、「確率的に生還への道はコレが一番!」と踏んだワテは、テントを張り始める。 まぁ、ここでビバークとなっても、缶詰とレトルトはボイルせずとも食えるなど食料はあるし、何より食欲ないしィ。

そして、テント本体だけ張った時、クライマックスが訪れた。 一組の夫婦連れの登山者が通りかかったのだ。 「こんにちは~」、と声かけるこのご夫婦に(それほど切迫詰まっていなかったけど、真実味を出す為に)形相キツく「遭難しました! たぶん胸の骨が折れてます!」、「救助要請をお願いします」と呼びかけた。

ご夫婦は少しドン引いたものの、ワテの名前と内蔵助平の鉄板橋から100メートル黒部ダム寄りのこの場所を確認して、「私達が黒部ダムに着いたら救助要請をするので、救助が来るまこの場所で3~4時間待機して」と応えてくれた。 その時、「内蔵助出合まで出ると携帯つながると思うので、内蔵助出合でも掛けてみて下さい」と言うと快く応じてくれたよ。

後は長い長いひなたぼっこ・・。 助けを呼べたラッキーな気持ちでハシャギたいけど、キズを負ってグロッキーな身体でハシャぐとシャックリ発作が出かねないのでじっとしておく。

・・で15:13。 待つ事2時間40分で赤いヘリが、ワテの頭上に現れ、ワテの苗字をスピーカーで呼んだ。 こうして、自身2度目のヘリ機上の人となった。 でも、1度目の日高での「沢でのカンズメ」のような便乗ではなく、仰向け搬送でヘリポートから救急車に乗せられて病院直行だったよ。 しかも重症と目されたようで、病院搬送中の採血は腕ではなく、下肢の重症患者部位だったしィ。

・・で、病院搬送後はHCU室という所で24時間看護となったよ。 ちなみに、このHCU室ってのは『高度治療室』といって、危篤患者向けの『集中治療室(ICU)』に次ぐ24時間看護体制の重症患者施設なんだって。 これで、生まれて初めての入院&点滴ライフとなったよ。

なお、病院の診断では、左右肋骨8本の完全・不完全骨折+右足首外くるぶし下骨折+穴が開く寸前の十二指腸潰瘍+手足指先全ての第一度凍傷+脱水症状の『数え役満』だったよ。 ファイト(遭難)中のワテの見立てでは、右肋軟骨数本の損傷+右足首の軽度捻挫+かなり重症の十二指腸潰瘍の『跳ね満』程度だったんだけと。

病院スタッフから此度の生還を「奇跡的な生還」、「よくぞ生きて戻れたね」ともてはやされていい気になってるタワケだが、病院スタッフによると、後数日かかったら胃に穴が開いてジ・エンド、折れた肋骨が肺に刺さってもジ・エンドだったとの事。

入院ライフは「生還も奇跡なら治りの早さも奇跡」との事で、2日間でHCU室より一般病棟に移り重症脱出、入院3日目から三分粥、翌日から五分粥に昇格し、明日退院して大阪に戻る予定である。
まぁ、ワテは頭もナンチャッてなら、身体の造りもナンチャッてのようですね。

でも、そろそろテント縦走の山行は、体力的というより技量的(特に下り)にムリとなってきているようですね。 今さら山は捨てられんので、涸沢等にテント張っての空身ピストン山行や山荘泊山行、テント縦走山行でも山荘のあるメインルートでないとおっつかないようですね。

PS・・ 大阪帰れたら宣言通り、1週間でブログの連載記事を復活できそう。 仕事復帰より、ブログ復活をおもんばかるロクデナシなワテ。

それと、内蔵助平にあったテントに、持ち主が帰ってこなかった・・らしい。 第二の遭難か?


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それは1回でもヘリ救助となる
遭難を体験したなら
トラウマとなって登山から離れるだろうから

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No Subject * by 鉄道日本一周
大変な目に合われましたね。
でも無事帰還できてよかった…。
ご無理なさらないように、早い復帰を祈っています。

Re: No Subject * by  風来梨
鉄道日本一周さん、おはようございます。

悪運が強いようで、何とか生還できました。
そして、今富山の病院を退院して大阪に戻ります。

ご心配をおかけして、申し訳ありませんと共に有難うございます。

No Subject * by hanagon60
とりあえずは無事生還できてよかったですね。
自分も過去やらかしているし、親友を剱で失っているのでエラそうな事は言えないのですが、反省点としてどんな事があげられるのでしょう?どうすれば良かったのでしょう?迷惑をかけた方への対応は?
気に障るようでしたら申し訳ありません。スルーしていただいても結構ですので。

Re: No Subject * by  風来梨
hanagon60さん、こんばんは。

私は「やってしまったものは仕方ない」という考え方ですね。 完璧に振る舞っても山や沢にはリスクがつきまとうし、それを恐れては山や沢には入れないと思うから。 そして、例え今回の様に事故っても、自分の取った行動を「最良だった」と思わなければ、この先に山や沢に入れないと思いますから。

だからファイト(遭難)中も常に、「生還して笑い話やブログネタにしてやろう」って思いを持ってましたね。 あの状況で後ろ向きになった時が一番危険だと、身体が理解してたからだと思います。

まぁ、反省がないので、何度も『オチャメ』るのでしょうかね。 でも、関係者並びに救助に携われた方々には、心配をかけた申し訳ない思いと命を助けて頂いた感謝の念に絶えません。

No Subject * by かわっぺ
大変な目に合われましたね・・・
私だったら、途中で死んでいたことでしょう
無事生還されてよかったです

Re: No Subject * by  風来梨
かわっぺさん、こんばんは。

お騒がせと御心配をおかけいたしました。
でも、病院スタップさんのいう「驚異の治りの速さ」で
無事退院と本拠地・大阪へ昨日戻る事ができました。

重ね重ね、皆さまに御礼申し上げます。

それと、当面は雪山はコリたので、冬は『○鉄』に専念しようと思います。
まだ宗谷ラッセルとかあるのかなぁ。

コメント






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No Subject

大変な目に合われましたね。
でも無事帰還できてよかった…。
ご無理なさらないように、早い復帰を祈っています。
2020-10-26 * 鉄道日本一周 [ 編集 ]

Re: No Subject

鉄道日本一周さん、おはようございます。

悪運が強いようで、何とか生還できました。
そして、今富山の病院を退院して大阪に戻ります。

ご心配をおかけして、申し訳ありませんと共に有難うございます。
2020-10-27 *  風来梨 [ 編集 ]

No Subject

とりあえずは無事生還できてよかったですね。
自分も過去やらかしているし、親友を剱で失っているのでエラそうな事は言えないのですが、反省点としてどんな事があげられるのでしょう?どうすれば良かったのでしょう?迷惑をかけた方への対応は?
気に障るようでしたら申し訳ありません。スルーしていただいても結構ですので。
2020-10-27 * hanagon60 [ 編集 ]

Re: No Subject

hanagon60さん、こんばんは。

私は「やってしまったものは仕方ない」という考え方ですね。 完璧に振る舞っても山や沢にはリスクがつきまとうし、それを恐れては山や沢には入れないと思うから。 そして、例え今回の様に事故っても、自分の取った行動を「最良だった」と思わなければ、この先に山や沢に入れないと思いますから。

だからファイト(遭難)中も常に、「生還して笑い話やブログネタにしてやろう」って思いを持ってましたね。 あの状況で後ろ向きになった時が一番危険だと、身体が理解してたからだと思います。

まぁ、反省がないので、何度も『オチャメ』るのでしょうかね。 でも、関係者並びに救助に携われた方々には、心配をかけた申し訳ない思いと命を助けて頂いた感謝の念に絶えません。
2020-10-27 *  風来梨 [ 編集 ]

No Subject

大変な目に合われましたね・・・
私だったら、途中で死んでいたことでしょう
無事生還されてよかったです
2020-10-28 * かわっぺ [ 編集 ]

Re: No Subject

かわっぺさん、こんばんは。

お騒がせと御心配をおかけいたしました。
でも、病院スタップさんのいう「驚異の治りの速さ」で
無事退院と本拠地・大阪へ昨日戻る事ができました。

重ね重ね、皆さまに御礼申し上げます。

それと、当面は雪山はコリたので、冬は『○鉄』に専念しようと思います。
まだ宗谷ラッセルとかあるのかなぁ。
2020-10-28 *  風来梨 [ 編集 ]