2019-06-15 (Sat)✎
路線の思い出 第322回 清水港線・三保駅跡 〔静岡県〕
完全にモニュメント化されて
ホームの原型を留めていなかった
※ ウィキペディア画像を拝借
《路線データ》
営業区間と営業キロ 輸送密度 / 営業係数(’83)
清水~三保 8.3km 597 / 666
廃止時運行本数 廃止年月日 転換処置
1往復 ’84/ 4/ 1 静岡鉄道バス
三保駅(みほえき)は、静岡県清水市三保(現静岡市清水区三保)にあった国鉄・清水港線の駅である。 単式ホーム1面1線を有していた駅でホームは構内の東にあり、ホームに接して古くからの駅舎があった。 駅舎南側には1面1線の貨物ホームがあり、その他車両留置用の側線数本があった。
駅の西側に向けて、日本軽金属清水工場や三井・デュポンフロロケミカル清水工場へ続く専用線が分岐していた。 日本軽金属の工場からは、電解工場がある蒲原駅や新潟駅などへ酸化アルミニウム(アルミナ)が発送され、三井デュポン社からは塩酸の発送に使われていた。
引き込み線用のディーゼル機関車が
静態保存されている
※ 清水市の観光課ウェブより
駅跡地は、「三保ふれあい広場」という名前の公園となっている。 構内の跡は整備され、一部プラットホームが残された上で芝生が張られ、沿線の引込み線で使用されていた小型ディーゼル機関車と、日本軽金属のアルミナ輸送に使用されていた私有タンク車(タキ8450形タキ8453)が静態保存されている。
公園として整備されたが
駅跡の面影は全くなくなった
※ 清水市の観光課ウェブより
旧駅前にあるしずてつジャストラインのバス停は、廃止後も長らく「三保駅前」の名前を残していたが、公園整備の完了と前後するように「三保ふれあい広場」と改称されて現在に至っている。
訪れた時は小雨交じりの曇天で
富士はボヤけて写真にならず・・
:
なのでウィキペディア画像を拝借しますた
また、日本三景の景勝地『三保の松原』は、駅所在地から1km程と徒歩で訪問可能な距離にあった。
清水に実家のある知り合いからもらった
現役時代の三保駅写真
1日1往復で有名だった清水港線・・。 だが、現在は鉄道の衰退で、1日に1往復やら1.5往復が日本の鉄道路線の数か所に出現して、残念ながらさして珍しいモノでもなくなってきているのである。
1往復列車の乗客は
全て『鉄』だった札沼線
途中駅の全駅廃止で
快速〔きたみ〕との2往復となり
『1往復』から脱出した石北本線
1往復は特急車両の豪華列車だった・・
日豊本線の大分・宮崎県境越え区間
しかし、ワテが廃止ローカル線を追いかけていた頃・・、即ち廃止ローカル線が次々と廃止淘汰されつつあった1980年代は、廃止されるローカル路線といえども「乗ってもらおう」という意志があったようで、スタンダードな路線で6往復、少なくても朝・夕・晩の3往復ないし、4往復は運行されていたのである。
廃止対象に挙げられた路線のほぼ全てが、その呼称の如くに『廃止・淘汰』という結末で帰結し、それに伴ってワテは鉄道を追っかける情熱を失って、鉄道から離れた。 鉄道から離れた10数年間は、ヤマや滝を放浪旅をしてまで猛烈に追っかけていた。
まぁ、なんていうか・・、追いかけるターゲットが定まったら、全てをかなぐり捨ててもトコトン追っかける習性がワテにはあるみたいだ。 だが、この時の「追いかけるターゲット」は『ヤマ』だったのである。 その「ターゲット」として熱中するヤマから下りて来て、インターバルを取るべく三保のユースホステルに泊まった時に立ち寄ったのが、三保駅跡の「三保ふれあい広場」である。
その時は鉄道を追っかけていた時の事は、過去の「オタの恥ずかしい思い出」として頑なに拒絶する傾向にあったのである。 今思えば、何と愚かな思考だったのだろう・・と呆れかえる。
国鉄オンリーのしょうもない思考で撮り逃し
鉄道雑誌の写真をスキャンするワテ
このしょうもない体裁繕いの為に、南部縦貫やら南薩鉄道(鹿児島交通)を目の前まで訪れていながら無視したりしていたのであるから・・。 当然に残るは、後になっての激しい後悔である。
目の前に停車していても
『国鉄オンリー主義』で
撮らずじまいの南部縦貫鉄道
※ ウィキペディア画像を拝借
そう・・、好きで熱中したモノを忘れる事なんかできないし、無理に忘れようとすると必ず「ツボ」にハマって後悔の念を抱く事になるのだ。 でも、こんなに熱中する性質では、二つのモノを追っかけるような器用なマネも覚束ないだろう。 だから、このようになって後悔するのは必然的だったんだろうね。
その『清水港線』だが、廃止間際に「取り敢えず乗っておこう」と訪れたのであるが、購入した入場券でも解るように廃止の二週間前の『葬式鉄』でごったがえしていた時である。 そして、こんなに『鉄』が押し寄せてひしめいていたにも関わらず、増便はいっさいなされずに『1往復』を遵守したのである。
人だかりが嫌で
切符を買っただけで早々に引き上げる
だから三保駅は『鉄』でごった返し、全く写真を撮る気が失せてしまったよ。 これは日中線の熱塩駅と同じシチュエーションですね。 三保駅では入場券と切符を買っただけで、早々にバスで清水に引き上げて『セ・セ・セ・セ青春18』で帰路に着いたよ。 ・・という訳で、写真は一枚も撮らず・・だったのである。
その「鉄でごった返して、どのようなアングルでも黒班(人間)が入る」と忌み嫌って写真を撮るのを拒絶した為に・・、そしてヤマから下りてこの駅跡公園を訪れた時も「見て周るだけ」で写真を撮らなかった事で、今この記事を書いているワテは激しく後悔をしているのである。
三保駅跡に訪れる前に登ったヤマ・・
それは登山道が地滑りで崩壊して
登れなくなった名峰・大無間山だった
そう・・、撮っていたなら、三保駅跡の「ふれあい広場」に訪れる前に登ったこの山が、後に道が崩壊して現在はずっと登れなくなってしまった事で登頂済みの優越感を抱けた事と同等の満足感を得れただろうし、同じく廃止になった清水港線がもう二度と撮れない・・という事実に後悔する事はなかったのである。
『IN』は(虚しい)努力次第で何とかなるが
『OUT』=売上は儘にならないね・・
- 関連記事
スポンサーサイト
Re: No Subject * by 風来梨
きゃみさん、こんばんは。
> 清水港線懐かしいですね~。私が鉄に目覚めて初めて乗車した路線です。
> そして南武縦貫鉄道・・・同じく国鉄ばかり追っていたので乗車かなわずでした(泣)
> 七戸十和田駅からバス(あるのか不明;)で南武縦貫をなぞって野辺地に出て、大湊線で大湊へ、バスで大畑を経由して大間へ、フェリーで函館へ、という空想を計画しようと思っているところです(笑)
こうしてみれば、意固地な考えで逃した獲物が如何に多い・・という事が解らされますね。 目の前に南部縦貫のレールバスや南薩鉄道の旧国鉄の09型がノソノソと走る美味しい情景を拒絶していたのですから・・。
北東北の計書、壮大ですね。 私もこの冬に仙台から三陸鉄道で上って、八戸から下北半島の尻屋崎・仏ヶ浦、津軽半島の竜飛崎、樹氷の八甲田山、冬の奥入瀬渓流と「ドサ周り旅」を計画しています。
> 清水港線懐かしいですね~。私が鉄に目覚めて初めて乗車した路線です。
> そして南武縦貫鉄道・・・同じく国鉄ばかり追っていたので乗車かなわずでした(泣)
> 七戸十和田駅からバス(あるのか不明;)で南武縦貫をなぞって野辺地に出て、大湊線で大湊へ、バスで大畑を経由して大間へ、フェリーで函館へ、という空想を計画しようと思っているところです(笑)
こうしてみれば、意固地な考えで逃した獲物が如何に多い・・という事が解らされますね。 目の前に南部縦貫のレールバスや南薩鉄道の旧国鉄の09型がノソノソと走る美味しい情景を拒絶していたのですから・・。
北東北の計書、壮大ですね。 私もこの冬に仙台から三陸鉄道で上って、八戸から下北半島の尻屋崎・仏ヶ浦、津軽半島の竜飛崎、樹氷の八甲田山、冬の奥入瀬渓流と「ドサ周り旅」を計画しています。
清水港線の春 * by hanagon60
学生時代、桜咲くホームと旧型客車・貨車の混合列車というのが私の清水港線の思い出です。
当時としても時代を超越した感が漂っていましたね。
https://hanagon60.blog.fc2.com/blog-entry-84.html
当時としても時代を超越した感が漂っていましたね。
https://hanagon60.blog.fc2.com/blog-entry-84.html
Re: 清水港線の春 * by 風来梨
ひらゴンさん、こんばんは。
> 学生時代、桜咲くホームと旧型客車・貨車の混合列車というのが私の清水港線の思い出です。
> 当時としても時代を超越した感が漂っていましたね。
> https://hanagon60.blog.fc2.com/blog-entry-84.html
学生時代に混合列車に乗られた経験が有るのですか? それは羨ましすぎる・・
旧客のあの車内情景は、物語が出来そうな情景ですものね。
桜の季節の物語、そして冬から春にかけてのスチーム蒸気の車内も物語を呼びますね。
清水港線懐かしいですね~。私が鉄に目覚めて初めて乗車した路線です。
そして南武縦貫鉄道・・・同じく国鉄ばかり追っていたので乗車かなわずでした(泣)
七戸十和田駅からバス(あるのか不明;)で南武縦貫をなぞって野辺地に出て、大湊線で大湊へ、バスで大畑を経由して大間へ、フェリーで函館へ、という空想を計画しようと思っているところです(笑)